女子ゴルフに限らず男子にも言えたことだが、例えばバブル期ごろまでの女子ゴルファーへの道は、ゴルフ場所属の研修生となり、そこで腕を磨いたり、有名指導者と師弟関係を築きプロ入りするのが一般的だった。ゴルフを始めるのは研修生となる中学や高校卒業後。過去を紐解くとアジア人として始めた海外メジャーを制した樋口久子は、高校卒業後から下積みを経験した。米女子ツアーで賞金女王にまで昇り詰めた岡本綾子は、ソフトボール一筋でチームがある企業に就職したほど。ゴルフに出会ったのはその頃で、退職してから2年後にプロテストに合格している。

 一人の指導者を師事しプロゴルファーとなった事例として有名なのは、不動裕理、大山志保、古閑美保の賞金女王経験者だろう。彼女たちは全員、故・清元登子さんの指導を受けた「清元門下生」。不動は1997年のプロ入り後から4年間、清元さんの自宅に居候しており、今となれば時代を感じさせるスタイルだ。

 師弟関係といえば「坂田塾」も有名だ。坂田信弘プロが主宰していたジュニア育成組織で、その厳しい指導はたびたびメディアにも取り上げられた。古閑、上田桃子、笠りつ子、原江里菜などはここで腕を磨きプロで活躍する礎を築いたが、それ以外にも多くのプロを輩出。女子ゴルフにとっては欠かせないプロ養成塾となっていた。

 原英莉花とジャンボ尾崎のような“師弟関係”を築いているケースもあるが、今では、こうした“師弟関係”“門下生”という昔ながらの仕組みは、目立たない存在となっている。例えば、宮里はゴルフコーチである父・優さんの指導を受け、横峯さくらもコーチではないが父・良郎さんからゴルフを学ぶなど師匠は父。それまでの通例とは異なる形になってきた。

 その後も、そうした傾向はさらに増え、ゴルフを始めるのも小学生時代、あるいは幼少期からクラブを握ることが当たり前。勝がゴルフを始めたのは6歳だったし、西村は父の影響で5歳からクラブを手にし、古江にいたっては3歳でゴルフをスタートしたという。

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