【中華料理店・安楽園】安楽園の応接間で撮影された安楽(羅)家の人々。横浜市史資料室蔵・前川浄二家資料
【中華料理店・安楽園】安楽園の応接間で撮影された安楽(羅)家の人々。横浜市史資料室蔵・前川浄二家資料
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 日本を代表する中華街であり、横浜の観光名所でもある横浜中華街。開港以来、積み重ねてきた歴史を「横浜中華街・160年の軌跡」展とともに振り返る。

【写真特集】横浜中華街が歩んだ160年の歴史

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 横浜の開港以来、160年余りとなる今年、横浜市中区にある横浜ユーラシア文化館で、企画展「横浜中華街・160年の軌跡 この街が、ふるさとだから。」(7月4日まで)が開催されている。

 横浜中華街は500メートル四方に500を超える店舗が軒を連ねる日本最大の中華街であり、長い年月の積み重ねがある。

 横浜中華街の歴史は1859年の横浜開港に遡る。日米修好通商条約によって、現在の山下町に外国人居留地が開かれた。日本より先に開港し、西欧の技術や生活様式を習得していた香港や上海の中国人が、ここに新天地を求めてやってきた。中国人たちは居留地に暮らす外国人社会を支える重要な存在となり、その一角に中国人が住むエリアが形成されていったのである。

「150年近く代々横浜中華街で暮らす一家もあります。中華街の歴史は日本の近現代の歴史に重なるのです」とは横浜ユーラシア文化館副館長の伊藤泉美さん。

 さらに、そこには中国人だけでなく、日本の各地からやってきた人々の暮らしがあることも強調する。

 2000年代、とくに09年以降は老舗の閉店や団体の改組などが続き、中華街が大きく変わりはじめた。

 そんな中、中華街とそこに住まう人々の悲喜こもごもを映し出す貴重な資料が同館などに寄贈され、本展を開催するきっかけになったという。そして中華街は、国際都市横浜を表す象徴的な地でもあると伊藤さんは続ける。

「中華街というと観光地をイメージするでしょうが、長くここに暮らし、ふるさとと思う人もいます。中国系の人に限らず、さまざまな人々が暮らしています。横浜中華街の観光地ではない別の一面を感じてほしいですね」

(文/本誌・鮎川哲也)

週刊朝日  2021年6月25日号