原稿は、何度も突き返された。書き直しは、ときに十数回を超えた。海外オフィス、海外イベントをはじめ、ダボス会議などの出井の出張には必ず同行した。出張中の睡眠時間は1時間。「がむしゃらに働きました。ちょっと働き過ぎだった」という。
一方でスピーチライターの仕事をしつつも、常に次のキャリアについて考えを巡らせていた。「他の人が経験できないようなことをさせてもらっているが、このままでいいのか」「事業の経験をしなくていいのか」──。スピーチライターの仕事を始めて間もない時期に吉田に直訴したこともある。
「私は、スピーチライターになりたくて会社に入ったわけではないんです」
当時の吉田の言葉を、彼女はいまもはっきりと覚えている。
「吉田さんは、『会社は自分のやりたいと思うことだけをやる場じゃない。自分が会社に何を求められているのかも考える必要がある』といわれました。でも、20年後にその話をしたら、吉田さんは『僕、そんなこといったかな』って」
■クールなようで
この教訓から4年後、次のステップの突破口を開くために、エリカは、1年間の休職を願い出て、スイスのIMD(国際経営開発研究所)にMBA留学をした。29歳だった。ヨーロッパを経験してみたかった。世界各国から社会人7、8年目の経験者が学んでいることも魅力だった。こうした決断と行動力が、彼女の真骨頂だ。
「じつは、私、会社を辞めてでも留学しようと思っていました。でも、当時の上司が『休職にしなさい』といってくれて」
部下がベストな選択ができるよう、上司は最大限の配慮をする。グローバル企業のソニーの組織は一見、クールなようでいて実はそうでもない。上司と部下、同僚間の関係は、思いのほか密である。人間くさい。
だから、日本企業の人は、ソニーを外資系っぽいといい、逆に外資系企業の人は、日本企業っぽいという。うなずける話である。(文中敬称略)(ジャーナリスト・片山修)
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※AERA 2022年12月12日号より抜粋