もう引き際なのかもしれない。

 入れるにはあそこしかない、と浮かんだのが母が入居中の有料老人ホームだ(第2回を参照)。父は「骨髄異形成症候群」という疾患があるため、定期的に注射と輸血をしている。医療依存度が高いので特養に入るのは難しい。介護老人保健施設(老健)も同様だ。母には悪いが、父を入れるために、母を別の施設に移すことにした。事業所の紹介もあり意外と早く入居が決まった。老健だった。母は「夫のためなら」と了解してくれた。そして母が使っていた居室に父が入った。これが父の日のプレゼント、と後で笑って振り返られたらと、今思っている。

 あれから5カ月。時々父の携帯に電話をすると、大音量のテレビの音が聞こえてくる。「何してた?」と聞くと、笑って「くつろいで、部屋でテレビ見ていたんだよ~」と言う。その後ろで「座って話しましょうか」との職員の優しい声が聞こえてくる。

 ここなら安心だ。

 寂しがり屋の父なので、時々「寂しいよ」と電話口で言うこともあるが、頻繁に会いに行き、通院にも付き添っている。実家で一緒に過ごしていた時より優しくできていると思う。

 以前、同世代の友人に親のことを聞かれて、施設に入れた時の気持ちを「天国との中間に親が行ってしまった気がする」と返したことを覚えている。「すごい遠くではないけれど、あぁ遠いとこに行っちゃったんだな、って。そういう気持ち」と。でも今は違う。時々、父や母と会うとこう言う。

「同じ世界で生きていてくれてありがとう」

 少し離れているけれど、同じ陽を浴び、同じ月を見ている。一昨日は、遠方の歯科医への通院に母を連れ出し長時間の介護タクシーの中で母と一緒に童謡などを20曲近く歌った。YouTubeで母の好きな伴久美子の音声を流すと歌詞をほとんど覚えていて、話す声よりも大きな声で歌うので驚いた。

 母は「ぼくらはみんな、生きている。生きているからかなしいんだ。手のひらを太陽にー」と歌いながら、手のひらを顔の前に出していた。日も暮れて夕焼けがきれいだった。母の顔がオレンジ色になった。すごく、うれしかった。

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