ただ排泄(はいせつ)ケアは大変だった。認知症なのか、膀胱の機能低下なのか、トイレに行ってもまたトイレに行く(トイレから出て手を洗ってそのまままたトイレに戻る感じ)。
「今行ったよ」と言っても「行っていないよ」と言う。夜間は1~2時間おきだ。そのつど私も起きて便器インできない尿を拭いた。滑ってしまったり、ズボンの裾まで尿で汚れたりするからだ。いつも「便器に近づいてね」と言ったが近づいてもこぼれることも多かった。私まで寝不足になり、疲労がたまって、いつからか2階で寝るようになった。
一度、「おやすみ」と言い階段を上がろうとすると「2階で寝るのか」と背後から声をかけられたことがある。「一人はやだよ。一人は寂しいよ」。施設ならば、こんな寂しい、不安な思いはないのかもしれない。
1階で寝る時は、母が使っていた介護ベッドを使った。ある日、ベッドに入ると、父のベッドから「幸せ! 娘と一緒に家で眠れるなんて!」と大きな声が聞こえた。
「やっぱり、家はいいな」
父はそうつぶやきながら布団に入った。
最初のうちは父がトイレに起きると私も起きて一緒にトイレまで行っていたが、ある時から、それもやめた。トイレからベッドに戻れず、食卓でお茶を飲みだしたり、ずっと立ち尽くしたりしていた時は布団の中から、「ベッドに戻りましょう。今は夜です」と声をかけた。起き上がらずエコモードで介護した。長く続けるためだ。
そんなある夜、トイレから戻ってきた父が私のベッドに近づいてきた。私は寝たふりをした。すると父は「背中が出ているよ」と言い、掛け布団を首元までかけてくれた。懐かしい感覚だった。
「風邪ひくなよ」
そう言って父は自分のベッドにちゃんと戻っていった。あぁ父だ。どんなに認知症になっても、父は父。大切な父なのだ。
それなのに今年6月、父をホームに入れてしまった。7月から介護実習が始まり父を丸1カ月家で介護するのが厳しくなる、というのが一番の理由だった。ケアマネジャー(以下、ケアマネ)や看護師に相談すると「もう十分やってきたと思うし、そろそろなんじゃないかな」「お父さんにとって落ち着く環境のほうがいい」という言葉が返ってきた。