日本軍機が1941年12月7日(現地時間)、ハワイ・オアフ島の真珠湾に停泊する米太平洋艦隊の艦船などを奇襲する(New York World-Telegram and the Sun Newspaper Photograph Collection/Library of Congress/PhotoQuest/Getty Images)
日本軍機が1941年12月7日(現地時間)、ハワイ・オアフ島の真珠湾に停泊する米太平洋艦隊の艦船などを奇襲する(New York World-Telegram and the Sun Newspaper Photograph Collection/Library of Congress/PhotoQuest/Getty Images)
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AERA 2021年7月5日号より
AERA 2021年7月5日号より

 コロナ禍で東京五輪強行開催に突き進む政府の姿勢は、太平洋戦争と二重写しに見える。AERA 2021年7月5日号で、類似点を専門家が指摘した。

【真珠湾のマップはこちら】

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 新型コロナウイルスの「第5波」到来が懸念される中、ひたひたと東京五輪の開幕が近づいてくる。

 だが、政府はいまだ開催の意義も開催した際に負うリスクも明確に説明せず、遮二無二五輪に突き進む。観客数は「収容人数の50%までで、上限1万人」とした上で、国際オリンピック委員会や競技団体関係者らは上限の枠外だ。その姿は、客観的データを軽視したご都合主義的な戦略策定で日本を敗戦へと追い込んだ、太平洋戦争と二重写しに見えてくる。

■日本兵みたいなもん

 6月13日、テレビ朝日の情報番組「ビートたけしのTVタックル」。タレントのビートたけしさん(74)は、こう憤った。

「晩年の日本兵みたいなもんじゃないか。(劣勢でも)『まだ勝ってる』って言ってたんだから」

 菅義偉首相(72)が9日の党首討論で、「世界が新型コロナという大きな困難に立ち向かい世界が団結して乗り越えることができた」と、五輪開催への決意を示したことに苦言を呈したものだった。

 日本は「いつか来た道」をたどろうとしているのか。

 昭和史研究者で学習院大学前学長の井上寿一(としかず)同大教授は、太平洋戦争と今のコロナ対策における政府の意思決定は、「戦略面」で類似していると指摘する。

 1941年12月8日、日本海軍はハワイの真珠湾に奇襲攻撃をかけて勝利する。日米開戦の契機となった戦いだ。

 井上教授によれば、戦争は有利なうちに終結させるグランドデザインを描き、それに対する適切な軍事戦略を立てることが重要だという。

■生まれた楽観と慢心

 仮にこのとき、日本軍が奇襲攻撃に終わらず一挙にハワイを占領していれば、戦力をヨーロッパに置きたいと考えていたアメリカとの「和平交渉」の取引材料に使え、戦争終結を目指すことができたかもしれない。

 だが、緒戦の成功によって、日本軍に楽観と慢心が生まれた。その翌年のミッドウェー海戦で大敗し、8月からのガダルカナル島攻略作戦でも、半年間も戦力を逐次投入し続けて敗退した。早い段階で和平に持ち込めていれば、多くの戦いは行う必然性はなく、多大な犠牲者も出さずに済んだかもしれないという。井上教授は指摘する。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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