29世紀を舞台にしたピクサー&ディズニーの映画『ウォーリー』に、すべての活動を機械に任せた結果歩くことすらできなくなった肥満体の人間が出てきますが、いずれその未来もフィクションではなくなるかもしれません。アメリカの肥満度は年々上昇しており、1960年~70年代には13パーセント程度だったのが、アメリカ国立衛生センターによると2018年は42.4パーセントまでになっています。5人に2人か3人は肥満体ということ。確かにアメリカの親戚の家や博物館に飾ってある70年代の集合写真を見ると皆スラっとしているのに、今は見る影もありません。食生活が大きく影響しているのでしょうが、「面倒なことは機械任せ」の価値観も一因になっている気がしてなりません。

 機械だけでなく、他人に家事を一任する価値観もあります。クリーニング・レディ、日本語にすると掃除婦と呼ばれる職業の人にキッチンからバスルームまですべての掃除をまるっとお願いする家庭が多いのです。クリーニング・レディの名が示す通り、担当するのは圧倒的に女性。それもマイノリティの女性が多い。先のOECDの調査で、無償労働時間の男女比がアメリカは1.7倍と確かに小さめなのですが、日本では妻・母という家庭内の女性にのしかかっている負担が、アメリカではそのまま家庭外・国外の女性にスライドしているだけともいえます。アメリカの知人には「今日はクリーニング・レディを使う(use)日だから」と言う人もいて、人をまるで物のように扱う言葉遣いに抵抗を感じたものです。

 また別の知人には、家事を一切しない男性がいました。妻が亡くなった後はずっとクリーニング・レディに家事を依頼していたそうです。でも依頼するのが面倒になったのか依頼先が変更になったのかはたまた金銭的に苦しくなったのか、いつしか依頼が途絶え、最後亡くなったときの部屋はひどい荒れようだったといいます。

 結局、家事を100パーセント物任せ・人任せにすることはできません。お掃除ロボットをかける前には床の物をどけなければならないし、掃除婦さんに依頼する際は物の配置や掃除してほしい箇所・方法を細かく伝える必要があります。そして、それらのサービスはいつでもどこでも無料で享受できるわけではありません。停電したり、過疎地に引っ越したり、お金がなくなったりしたとき、頼れるのは自分の手だけです。

 日本には、「自分の事は自分の手で」の価値観がアメリカに比べて残っている気がします。よく言われることですが、アメリカ人が日本の小学校を見学すると「生徒が自分たちで床拭きもトイレ掃除もするなんて!」と驚きます。アメリカでは掃除の時間がなく、外部の業者任せの学校が大半だからです。日本では小学校どころか園児の頃から雑巾の絞り方を教わるし、職員全員で年末の大掃除をする会社もあります。自分の使ったものを自分できれいにするのはごく当然。そんな意識が浸透している日本に、「家事を自分でするなんてスマートじゃない、物か人に任せよう」というアメリカ式の価値観を導入していいものでしょうか。

 こんなことを書くと、さぞなんでも一から自分で手を動かし、自給自足のていねいな暮らしをしている人間だと思われるかもしれませんが、実際は真逆です。麻や綿ではなくシワになりにくいポリエステル繊維の服を日々着て乾燥機で乾かし、きれいな漆塗りのお椀を食器棚の奥にしまって食洗器対応の食器を使いまわし、先週はカビだらけの浴室を掃除業者さんにきれいにしてもらいました。自分の手を使わないって確かにラク。もう元には戻れそうにない。でもなんだか違う道に迷い込んでしまった気がして、お掃除ロボットを投げやりに起動する度、お尻のあたりがソワソワするのです。

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