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名古屋市の河村たかし市長が後藤希友選手の金メダルをかじったことが、大きな話題となりました。後藤選手が所属するトヨタ自動車からも抗議文が出され、河村市長は謝罪会見をし、トヨタ自動車の本社に赴きましたが幹部の方々とは面会できませんでした。
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この一連の流れについて、SNS等では「カノッサの屈辱」と揶揄されました。「カノッサの屈辱」とは、11世紀にローマ王ハインリヒ4世がローマ教皇グレゴリウス7世に使節を送り謝罪するも許されず、カノッサ城門に赴いて3日間赦しを請うた事件です。世界史で習う事件ですが、「カノッサの屈辱」という言葉は、今回の河村市長の一件のように「強制されて、屈服し謝罪すること」の比喩として用いられます。
こうした揶揄については、当然ながら根本の知識がないと、ユーモアの意味はわかりません。もちろん、正確にはカノッサの屈辱と呼べる展開ではありませんし、似ても似つかぬ状況ですので、嬉々として「カノッサ!」と騒ぐSNSの人々を冷ややかな目で見るというのが、さらに歴史に詳しい層のユーモアです。
このように、前提となる知識を知っていないとユーモアが楽しめないことは、多くあります。ヤコポ・ツッキという画家の作品に、火のついたランプを持った裸の美女がベッドに油を垂らし、裸の青年が身をよじっている絵があります。最初にこの絵を見た際に、知識のない私は(そういう絵なのかな…)と思い、一緒に訪ねた友人に「独特な絵があるよ」と伝えたところ、即座に「プシュケだね」と言われました。プシュケという人間の美女が、姿が見えない夫アモル(キューピッド)の正体を知ろうとして夜中に彼の姿を照らし、神の姿の美しさに驚き落とした油で起きたアモルは正体が妻にバレたことを知るという神話のワンシーンが題材だったのです。とても有名な神話であり、プシュケとアモルは頻繁に題材にされるモチーフでした。知識の欠如というのは恐ろしいことで、同じ絵を見ても感想も感慨も全く違うことを身をもって実感しました。
そのほかにも、かつて女子高生が詠んだ短歌「問十二 夜の青を微分せよ 街の明りは無視してもよい」は度々Twitterで取り上げられます。こちらも、数学の知識がない私には微分が何なのかが理解できないために、夜の青を微分するとどうなるのかが分からず、この短歌の素晴らしさを半分以上理解できませんでした。