それから6年。ベンチャー界で名の通った孫と小笠原のサポートを受けたツムグは順調に成長した。実際にスマートロックを量産する段階では、台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入ったシャープがパートナーになってくれた。鴻海の創業者、郭台銘(テリー・ゴウ)の息子が経営するベンチャーキャピタルからも出資を受けた。

 会社のメンバーは20人を超えたが、そのほとんどは個人でツムグと業務委託契約を結んでいる。牧田の提案だ。給料をもらう会社員になると、思考が止まってしまう。会社にとっても働く側にとっても、独立した個人として仕事を請け負ってもらったほうがメリットは大きい。牧田はそう考えている。

 だが、シリコンバレーの伝説的な投資家ベン・ホロウィッツが言う通り、起業は甘くなかった。自身も起業家で、初期のフェイスブックやツイッターに投資した彼は、著書『ハード・シングス』でこう語っている。

「本当に難しいこと(筆者注:ハード・シングス)は、大きく大胆な目標を設定することではない。本当に難しいのは、大きな目標を達成し損なった時に社員をレイオフ(解雇)することだ。(中略)本当に難しいのは、大きく夢見ることではない。その夢が悪夢に変わり、冷や汗を流しながら深夜に目覚める時が本当につらいのだ」

 母の会社の借金を返すとき、牧田は必死に働いたが、悪夢を見ることはなかった。母の会社とはいえ「ひとの会社」だったからだ。起業家にとって、自分の会社は体の一部である。

 その会社が危機に陥る時、起業家は悪夢にうなされ、冷や汗を流す。

「今日から復帰します」

 そう、牧田が宣言したのは今年3月8日。オンラインの全体ミーティングでのことだった。

 (ジャーナリスト・大西康之)

※AERA 2021年8月16日-8月23日合併号から抜粋。文中敬称略

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