戦争が始まると、ウクライナから国外への避難が始まった。外国に知り合いがいる人は動きやすいが、そうでなければ行き先を決めるのも難しい。「細い伝手(つて)をたどって」ズラータさんの母親は身元引受人を見つけ、日本への飛行機代、16万円を必死で集めた。ウクライナ侵攻から1カ月も経たない3月16日、母の勧めで、ズラータさんは日本への避難を決意する。飛行機に乗るためには、ポーランド・ワルシャワまで行かなくてはならない。
「ワルシャワまで送ってくれた母も私もコロナにかかりました。PCR検査は4回受けて陽性。5回目でようやく陰性になって、飛行機に乗れたんです。もともと私は人見知りで、コミュニケーションをとるのは得意じゃないんですが、そんなことを言っていられませんでした」
何度も危機に出合いながらも、多くの人の協力でズラータさんは日本に到着した。今は横浜に暮らし、日本語学校に通う。近い将来、美術の勉強を始めたいと考えているそうだ。
「母とは毎日のように通話していますが、とても心配です。日本は安全で嘘のよう。戦争は突然、始まりました。日本の方には『今を大事にして。明日が今日と同じとは限らない』と言いたいです」
戦争がいかに人々の日常を壊し、当たり前だった暮らしを奪っていくのか。避難する人々のディテールが16歳の少女の目を通して描かれた、リアルな記録だ。(ライター・矢内裕子)
※AERA 2022年11月28日号