子どものころから母親に「床屋になれ」と言われ続けて、中学を出たら理容学校に行かされました。サボってばっかりいましたが、どうにか半年遅れで卒業して、姉とふたりで理髪店を始めました。

 手先は器用だったので、そこそこ客もついて、店は繁盛しました。ひいきのお客さんもつき始めて、それなりにやりがいも感じていました。ただ、理容師としては致命的だったんです。カミソリを持つのが怖かった。いくらやっても慣れずに、緊張して体が固まってしまう。

 こんな調子ではとても続けられないと考えたとき、「やっぱり漫画を描きたい」という気持ちが膨らんできたんです。仕事を終えてから、夜中にこっそり漫画を描き始めました。

 案の定、おふくろに見つかって、ものすごい勢いで怒られました。おふくろは泣きながら「好きこのんで野垂れ死にするつもりか」ってね。

 でもそのとき、おふくろに生まれて初めて盾突きました。「この仕事は将来性があるんだ」と言い張ったんです。あそこで勇気を出してなかったら、カミソリの扱いがヘタクソな理容師を嫌々続けていたかもしれません。

 おふくろもビックリしたのか、「1年だけ」という条件で許してくれました。諦めさせるための口実だったのかもしれません。

 朝早くから夜遅くまで理容師をやって、夜中に漫画を描くという生活を続けました。休みも盆暮れだけ。姉貴も助けてくれたし、目標があると人間は頑張れるんですね。もうすぐ1年たつというときに長編を完成させました。当時は貸本ブーム。出版社に持ち込んだらすぐに本になることが決まったんです。

 昭和30年に『空気男爵』という作品でデビュー。どんどん注文が来て店のほうは姉貴に任せっきりで、わけもわからず描きまくって、次々に本になりました。

 おふくろは、認めてくれたのか、体を壊していたからか、黙って見守ってくれましたね。ただ、出た本には何の興味も示しませんでした。デビュー作だけは病床に持っていったんですが、読んでくれたかどうかはわかりません。

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天才しかやれないなんて職業ではない