「会津宮下駅で列車を降りて、町役場で特別町民の登録と記念植樹もしていただきました」と五十嵐さん。当時、テレサ・テンのお世話などをしたログハウスどんぐりの海老名健さんも、
「とてもやさしい方で日本語も話されて、コミュニケーションが取りやすかったですね。町の中を散策したり、町長の家や宮下温泉ふるさと荘で歌ったりしてくれました」
テレサは2日間の滞在を十分に満喫した。
「雪を見て大変喜んでましたね。3月に来たのは雪を見たいとテレサ・テンさんが希望したからのようです」と海老名さん。
三島町でよく使われる藁でできた雪靴を使って器用に、そして楽しそうに雪の上を歩いていたという。
また、当時の町長の家では甘酒を飲み、あまりのおいしさにその作り方を詳しく聞いたそうだ。
「テレサ・テンさんのゆかりの地をめぐるため、若い方から年配の方までいろいろな方がいらしています。今日は台湾からもお客さんが訪れていましたよ」(海老名さん)
テレサはその後、東京で三島町のPRイベントが行われた際には手伝いをしたこともあった。
「特別な人というより、町民の一人という感じですね。今もそれだけ身近に感じています」(同)
地方をめぐる営業はこうした楽しいこともあったが、実は体力的にも精神的にも過酷なことでもあった。
「こんなはずじゃなかった、つらいと私の膝で何度か泣いたこともありました」と舟木さん。そんなときに起きたのが、79年の「パスポート事件」だ。
中国大陸出身の両親のもと、台湾で生まれたテレサは、偽造パスポート使用の疑いをかけられた。
「結局10日間ほど勾留され、いろいろと策を練ってアメリカへ国外退去することにしたのです」(舟木さん)
このことは台湾でも非難の声があがり、台湾に帰すとバッシングに遭い、二度と芸能活動はできなくなる。とにかくテレサがどうなるか心配だったのだ。こうしてテレサとポリドールとの契約は終了してしまった。