人生の終わりにどんな本を読むか――。温泉紀行ライター・飯出敏夫さんは「最後の読書」に『日本のゴーギャン 田中一村伝』を選ぶという。
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筆者は、長年、温泉と温泉宿の取材と執筆に特化した温泉紀行ライターとして活動してきた。2016年6月に山麓の温泉取材の途次に霊峰白山に登ったことから、学生時代に没頭した登山生活の熱かった思いが蘇生。登り残した「日本百名山」は何座あるか数えてみたところ、残り41座。当時69歳、ならば翌年の古稀の記念に完登しようと火がついてしまった。
翌17年9月に「日本百名山」を完登した際、山麓や山中に名湯がない名山が多いことに気づき、ならば名湯のある名山を100座選び、名付けて「温泉百名山」の選定登山を次の目標と定めた。
途中、腰や膝の手術を受け、その都度懸命のリハビリを経て登山に復帰したので、この選定登山には4年もかかり、21年9月にようやく完結。その軌跡をまとめた書籍『温泉百名山』(集英社インターナショナル)を22年10月に刊行することができた。
さて、その選定登山の最中、深田久弥著『日本百名山』を改めて愛読したのは当然だが、「最後の読書」には『日本のゴーギャン 田中一村伝』(南日本新聞社編、小学館文庫)を挙げたい。「画壇から遠く離れ、日本画の正道を探求した孤高の画家」の伝記である。50歳で千葉から奄美大島に移住し、1977年に誰に看取られることもなく死去した。享年69。粗末な借家にたった一人で住み、家庭菜園で育てた野菜を主食とする半自給自足生活。大島紬工場で薄給の染色工として5年間働いて金を貯め、次の3年間はひたすら画業に打ち込むという、峻烈にして誇り高い、芸術家の矜持に満ちた生き様である。彼の存在が世に知られるには、死後8年後の1985年、中野惇夫記者が「アダンの画帖」と題してこの孤高の画家の生涯を南日本新聞に連載するまで待たねばならなかった。
本当にこんな画家がいたんだという衝撃、振り返って自らの生き方はどうなのか。登山の最中、苦しいときにはいつもこの孤高の画家の生き様を思い浮かべ、奮起をうながす自分がいた。彼の生き様に対して自らはどうだったのか、「最後の読書」でも、そう問いかけていると思う。
※週刊朝日 2023年2月3日号