銀座通りを走り去る1系統装飾電車の車列もカメラが捉えた。それが次の写真だ。銀座の2大ランドマークである三愛ドリームセンターと和光本館が背景となり、この地点を選んだことは正解だったと思っている。画面右側の銀座通りの車道には、歩道からはみ出した人波と交通整理する警察官が写っている。
廃止二日前の銀座通りを俯瞰撮影
時計を、廃止二日前の12月7日に戻そう。
前日に鉄道雑誌の編集長から「銀座通りを俯瞰できるビルの上から、最後の都電風景を撮って欲しい」と、依頼を受けた。次の写真が12月7日の午後、新橋に所在した住友銀行新橋支店の屋上にお邪魔して、200mm望遠レンズで俯瞰撮影した銀座通りの都電群。手前から銀座七丁目停留所に接近する1系統品川駅前行きの都電に22系統新橋行き、4系統五反田駅前行きが続行している。画面の奥になるが、銀座四丁目角の改築中の銀座三越に「ご苦労さまでした 都電銀座線」の横断幕が掲げられ、銀座線の終焉が迫ったことを告げていた。
最後の夜は、午後11時過ぎから美濃部亮吉東京都知事(当時)が銀座四丁目の電車停留所で都民に挨拶をし、地元民から知事に花束の贈呈が予定されていた。しかしながら、銀座四丁目の交差点には前述のように約4000人の都民が集まったため、都電も美濃部都知事も身動きが取れなくなり、「予定通り実施されたのは花束贈呈だけに終わった」と、翌10日の朝日新聞朝刊は報じていた。
蛍の光の大合唱で見送る
筆者は五丁目でお別れの車列を撮影したため、四丁目交差点には近寄ることもできず、お別れセレモニーが交差点のどの辺りで実施されたかも確認できなかった。前出の朝日新聞掲載の写真を見ると、美濃部都知事を主賓とするセレモニーは、銀座四丁目の東側に位置する場所で行われたようだ。人波にもみくちゃにされ、晴海通りの車道に押し出された美濃部都知事の背後に、四丁目交差点を通過する4系統銀座二丁目行き装飾電車が写っているのが確認できた。
美濃部都知事が辛うじて挨拶をしたころに、人波の中から湧き上がるような「蛍の光」と「電車唱歌」が大合唱され、セレモニーはクライマックスを迎えた。
最後の写真が、最後の姿をひと目見ようと人いきれとなった銀座四丁目交差点だ。自動車交通はストップし、大勢の警察官が交通整理にあたっていた。午後11時30分を回る頃、車列の殿(しんがり)を務めた非営業の5505号がライトアップされた和光本館の前を軽やか通過。これが高性能車5500型の見納めとなった。