ヤクルトの高津臣吾監督
ヤクルトの高津臣吾監督
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 ヤクルトを日本一に導いた高津臣吾監督への評価が高まっている。指揮官としての手腕はもちろん人間性を称賛する声も止まない。そんな高津監督と大学時代を寮の同部屋で過ごした永井浩二氏(静岡・オイスカ高野球部監督)が日本一の指揮官となった男との思い出を語ってくれた。

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「気配りがすごかった。当時を知っている人なら高津さんが称賛されているのを不思議に思わない」

 広島出身の2人が直接の面識を持ったのは永井氏が亜細亜大に入学した時だった。高津監督は広島工、永井氏は広島商と全国的にも有名な強豪校卒で同県人ということもあり野球部寮で同室となった。高津監督が4年生、永井氏が1年生の『部屋子』と言う立場で身の回りの世話などを任された。

「最初に挨拶した時に僕のことを知ってくれていて驚いた。当時の運動部は今では考えられないような縦社会で1年生にとって4年生は神様だった。他部屋の1年生はキツかったこともあったらしいが僕は平和で過ごしやすかった。2、3年の人も優しかったのは高津さんを見ていたからだと思う」

 1年生にとって野球以前に1日を平和に過ごすことが重要なテーマという時代。寮では1部屋に4年から1年まで4~5人の相部屋だった。トップである4年の考え方や振る舞いが掟にもなる。部屋によっては身の回りの雑用だけでなくシゴキに近いことも存在したが、高津監督の方針や気配りもあり、永井氏の部屋は他選手が羨むほどの環境だった。

「2、3年の先輩も広島出身だったので雰囲気は良かった。寮の近くに広島風お好み焼き屋があり高津さんが我々を引き連れてよく食べに行った。他の先輩もいるので1年生はあまり話せない中、高津さんがいつも気を遣ってくれた。ジョークを言って周りを笑わせていたのは今と変わらない。面倒見が良くて優しかった」

 寮生活だけでなく練習での直接的な絡みも増えていく。捕手だった永井氏はブルペンで高津監督の投球を受ける機会に恵まれる。NPB通算15年間で286セーブを挙げた球史に残るクローザーの投球技術を体感、要所では的確なアドバイスをもらえた。

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高津監督の投球を受け「鳥肌が立った」