かつて見たことのない、半世紀ぶりによみがえる4人の姿に心が震える
(c)1969 Paul McCartney. Photo by Linda McCartney.
かつて見たことのない、半世紀ぶりによみがえる4人の姿に心が震える (c)1969 Paul McCartney. Photo by Linda McCartney.

 その日(1月13日)の昼食時、スタジオに遅れて来たジョンは、食堂でポールと二人だけで話す。映像はないが、花瓶に録音マイクが仕掛けられていた。

 ジョンが舌鋒鋭く言う。

「ジョージは(ビートルズでは)満足感が得られないと言っている。僕らが彼の傷が膿むのに任せ、さらに傷つけたからだ」

「君は僕にも指示する。後悔してるのは、君が曲を違う方向にもっていくのを許したりしたことだ」

 それに対しポールは、

「そこが問題なんだ。君は自分の曲で指示できる時も何も言わない」

 と反論。

 ジョン「君の提案を断る自由をくれ。いい提案は頂くから。曲のアレンジもそうだ。嫌なんだ。うまく言えないが」「君はポール様だからな。正しいときもあるが、間違える時もあった。みんなも同様だ。もうビートルズはただの仕事になっちまった」

 ポール「僕はジョージが戻ってくると思う。もし戻らなければ新たな問題発生だ。年を取れば、みんなで歌えるさ」

 2人はまたジョージと話し合うことにし、15日に会合を持った。ジョージはテレビショーの中止とアルバム制作を復帰の条件に挙げ、他のメンバーはそれを受け入れた。

 このころ、ジョンがひどいヘロイン依存になっていたことが、今では知られている。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンらロック史に残る多くの面々が薬物で命を落とした。薬物が原因かはわからないが、ジョンがカメラの前でおかしな言動(「マスターベーションをやれば近視になる」などと口走る)を見せ、ポールがハラハラした様子で「君はまともじゃないぞ」とささやく場面も。

 もともとビートルズの実質的なリーダーはジョンだった。ジョンはポールより二つ、ジョージより三つ年上(最年長のリンゴはデビュー直前に加入)で、10代半ばのジョンのバンドにまずポールが、次にジョージが入り、バンドとして整っていく。ビートルズと名付けたのもジョン。下積み時代、

「俺たちはどこまで行くんだ?」

 とジョンが叫ぶと、

「トップのトップだよ、ジョニー」

とポールやジョージが応じて励まし合った。何と言ってもジョンは頼れる兄貴分だったのだ。デビュー初期はジョン主導で作られた曲や、ロック歌手として抜群の力を見せつけた曲が多かった。

 ところが中期になると弟分のポールが才能を開花させ、一方でジョンは曲作りに苦しむようになる。後期のシングルの大半はポールの曲で、69年1月のこの映像でも、スタジオに来たポールが毎日のように新しい珠玉の楽曲の数々をピアノで披露している。この時期、彼は質量ともに恐ろしいほどの、創作力の絶頂にあったのだ。

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ノーカット42分間のライブ映像