撮影は、1969年1月2~31日のうち、休日やセッションの中断を除く22日間に及んだ
(c)2021 Apple Corps Ltd. All Rights Reserved.
撮影は、1969年1月2~31日のうち、休日やセッションの中断を除く22日間に及んだ (c)2021 Apple Corps Ltd. All Rights Reserved.

 前書きが長くなったが、ビートルズものの本や映像をあさってきた長年のファンとしては、「こんな宝の山が残されていたのか」と驚きだ。

 順調にスタートしたかに見えたセッションだったが、映画撮影用のスタジオで朝から新曲に取り組むことになったジョンやジョージは不満を募らせる。セッション3日目の4日、ギターの弾き方を指示するポールにジョージが激怒、「君が弾けというようにやるさ、弾くなというならプレイしない」と怒りをぶつけた。10日には、自分の曲がまともに取り上げられないことなど積年の不満が爆発、スタジオを飛び出してしまう。

 ジョンは「ジョージが戻らないならエリック・クラプトンを後釜に入れようぜ」と皮肉るが、4人がそろってこそのビートルズ。だが週末にジョージの家で行われた話し合いもうまくいかなかった。

 ジョンとポールの心のうちが赤裸々に描かれる。

 13日、ポールはジョン不在のスタジオで、リンゴや恋人リンダ(2カ月後に結婚)、リンゼイ=ホッグや親しいスタッフらに疲れた様子で語りだす。グループそっちのけで、スタジオでも片時も離れないジョンとヨーコのことだ。

「ジョンはヨーコとずっと一緒にいたいんだ。ヨーコとビートルズのどちらを取るかと迫ればジョンは彼女を選ぶだろう」

 ツアーでいつも一緒だった時代はジョンと曲を熱心に共作していたが、ツアーをやめて離れて暮らすようになると、親密さが失われたとポールは言う。

「ジョンとヨーコはやりすぎだが、もともとジョンは極端だろ。分別を取り戻せと言っても無駄さ。口をはさむことじゃない。たぶん僕らには(規律を正してくれる)父親のようなまとめ役が必要なんだ」

 テレビショーは延期したいというポールは、ショーの新たなアイデアとして、ビートルズの曲の合間に最新のニュースを放送することにし、最後に「ビートルズ解散」を速報で流すのはどうかと言って笑った。

 ポールは目を潤ませていた。

 ジョンが電話に出ているというので、ポールは席を立った。

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