ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「一夜限りの発表会」について。
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昨年末ぐらいから、とんねるずの木梨憲武さんとマツコさんと「3人で女装して唄う」のを目標に、楽曲(作詞は阿木燿子さん。作曲は宇崎竜童さん!)を録音し、衣装を作り、写真を撮り、ついに先日「一夜限りの発表会」と題して、あのFNS歌謡祭で唄ってきました。「命綱」という骨太で頑丈な楽曲です。
木梨さんは私にとって「女装の原風景」のおひとり。テレビで観る木梨さんの女装に感じた「性(さが)」は、間違いなく私の中に「種」をまいてくれました。セクシャリティに関係なく、女装には「性(さが)」を含んだ女装とそうでない女装がいますが、若い時分から私もマツコさんも、その「性(さが)」や「癖(へき)」の純度こそが、女装にとっての「徳(とく)」や「志(こころざし)」だと信じてやってきた節があります。なので、木梨さんのように「ゲイではない人が体現する女装癖」というのは、私たちからするとめちゃくちゃカッコイイのです。ノンケ男が高倉健や松田優作に惚れるのと何ら変わりありません。
「命綱」は、作家陣が歌謡曲黄金時代を築いた名コンビということで、フレーズも展開もキメも、いわゆる音楽的なサービス精神においてはこれ以上ないぐらい豊潤な要素に溢れています。そのため、歌い手3人は極力「削ぎ落とし系」のパフォーマンスを目指しました。あれこれ色を乗せたり踊ったりしなかった分、楽曲の力はもちろんのこと、女装の「純度」もストレートに伝わったのではないでしょうか。
本来「女装」というのは、宴(うたげ)の賑わいとは対極にある、孤独でひとりよがりで悪目立ちするもの。「変身願望」なんて言葉を使うとポジティブに聞こえてしまいますが、それは「自分への失望」の裏返しだったりもするのです。そしてその「失望」が、自分を救うことだってある。「命綱」の歌詞に、「依存してないか? 自分の足で立ててるか?」という一節があります。女装とは、まさに「依存」以外の何物でもありません。