人類が歩んできた歴史と「戦争」は、切っても切れないほど深い関係にあると言える。しかし今日の私たちは、「戦争」について何をどのくらい知っているだろうか? 高橋源一郎氏による『ぼくらの戦争なんだぜ』(朝日新聞出版)を読むと、平和な世界に生きる私たちと戦争との「距離感」が浮き彫りになってきた。
子どもの頃、平和学習などを通じて戦争体験者の話を聞いたことがある人も多いだろう。その際あなたはどう感じただろうか? 著者の高橋氏も幼い頃から周囲の大人に戦争の体験談を聞かされていたが、当時はつまらない「思い出話」としてしか理解できなかった。
「幼いぼくが、親戚たちがする『戦争』の話に無関心だったのは、それが『彼らの戦争』に思えたからだ。ぼくには無関係な、遠い世界での『戦争』に思えたからだ」(同書より)
私たちがテレビなどでよく耳にする戦争の話は、高橋氏いわく「大きなことば」を使って語られた記憶である。「大きなことば」とは、指導者などが好んで使う大衆を動かす力のあることばだ。大勢の人の興味を惹き、気持ちを同じ方向に向かせるには便利だろう。
一方で、人々が個人的な体験をそれぞれの感覚で紡いだものは「小さなことば」だと言える。「小さなことば」は「大きなことば」ほど注目を浴びる機会も少なく、時として「大きなことば」の流れに寄ってしまいがちだ。高橋氏が長年聞いてきた戦争の話も、「小さなことば」を使いながら「大きなことば」の影響を多分に受けたものだったという。
「庶民は、みんな、自分の「『小さな記憶』」としての戦争」を書き、語ってきた。たとえば、ぼくの母親が、そうだったように。けれども、その「『小さな記憶』としての戦争」は、なんだか、とても、「『大きな記憶』としての戦争」に似ているのだ、「『大きな記憶』としての戦争」がまずあって、その断片としての意味しかないように見えるのだ」(同書より)
高橋氏によると「戦争」を知るうえでは、「大きなことば」に影響されない"真の「小さなことば」"に触れることが大切だ。ここからは、同書で紹介されている文章作品からいくつかの「小さなことば」を抜粋する。
『野戦詩集』(山雅房)は、太平洋戦争の開戦前に中国大陸で戦っていた兵士たちによる詩を編纂した書籍だ。以下に、作者のひとりである長島三芳氏の『雲』という作品を示す。
鐡帽をはねのけ
友は皆 眞青な空の深さをしびれる程見てゐる
立春の立ちこめた霧が吹き上りして
あたりの湖水より雲の上へ 雲の上へとのびて行く
その雲を追つて大陸に馴れそめた友が指をさしてゐる
あの雲ニツポンの方へ流れて行くぞ
あれはニツポンへ行くのだらうか
どの兵も どの兵も眞青な空を見上げる
どの兵も無言のまま
戦場で、気を紛らわすかのように空を見上げる兵士たち。過酷な環境に身を置く人々の心情を、高橋氏は次のように考察する。
「見ているのは『雲』だ。戦場にいるのに。それしか見えない。もしかしたら、他のものはなにも見たくないのかもしれない。敵兵も、塹壕も、砲弾も、行軍も、それらがみんな日常になってしまった。死もまた日常になってしまった。それ以上のことを考えると、どうなる、どうにかなってしまう。いってはいけないことをいってしまうかもしれない。だから、みんな、なにもいわず、ただ『見る』のである」(同書より)
次に、向田邦子氏の短編『ごはん』を紹介したい。向田氏が「開放感」と「うしろめたさ」の両方を感じた出来事として、東京大空襲の体験を記した一節を以下に抜粋する。
乾き切った生垣を、火のついたネズミが駆け廻るように、火が走る。水を浸した火叩きで叩き廻りながら、うちの中も見廻らなくてはならない。
『かまわないから土足で上れ!』
父が叫んだ。
私は生まれて初めて靴をはいたまま畳の上を歩いた。
『このまま死ぬのかも知れないな』
と思いながら、泥足で畳を汚すことを面白がっている気持も少しあったような気がする。
向田氏も長島氏も、戦争の概要や全体的な被害の大きさなどには触れていない。目の前で起きたことや心情を、端的かつ軽やかに表している。真に「小さなことば」を紡いだ表現に触れると、「非日常」的な「戦争」が「日常」に近付いてくるのではないだろうか?
同書ではほかにも、さまざまな姿の「戦争」が示されている。人類は歴史を学びながら、一方で歴史を繰り返してきた。昔の戦争を語れる人が次第に少なくなり、世間の関心が新たな争いに向けられている昨今。これからの未来をどのように歩んでいくべきか考えるために、私たちは過去からの細々とした声をもっと聞かなければならないだろう。