東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行われた。テレビもSNSも国葬の話題で埋め尽くされた一日だった。

 岸田文雄首相が国葬開催を表明したのは7月14日。それから2カ月余り、開催の是非を巡り国中が紛糾してきた。当日は一般献花台に3キロに及ぶ行列ができる一方、国会議事堂前をはじめ全国各地で激しい国葬反対デモが繰り広げられた。中継特番で旧統一教会問題を追及するテレビ局もあった。

 そんな紛糾する状況は逆に安倍氏の巨大な存在感を炙(あぶ)り出している。安倍氏は憲政史上最長の在任期間を記録し、国際的に知名度も高い。他方で強権的な政治手法への批判も根強く、いわゆるモリカケなど多くの疑惑も残っている。政治家の評価は分かれるものだが、氏の場合は分断が特別に深い。8年近い第2次長期政権のあいだに、日本政治は安倍支持と「反アベ」の対立に塗り込められてしまった。本人が亡くなったにもかかわらず、対立だけが亡霊のように生き続けているかたちだ。

 意見の対立は民主主義の健全さを示すとの考えもあろう。けれどもアベと反アベの対立はその類いのものではない。単純すぎる対立は建設的な議論を不可能にする。それこそが安倍長期政権の問題だった。この2カ月でも、物価高にエネルギー問題、防衛費の拡大やコロナ対策など国葬以外に議論すべき問題が多くあったはずだ。そもそもリベラルは参院選で敗北を喫したのであり、立て直しが急務でもある。反アベの構図に囚われ、そんな現実が見えなくなっては本末転倒であろう。

 国葬直前に「東京大学AI研究会」を名乗る団体による合成動画が現れた。人工知能を用いて、安倍氏自身の声で「本日私の国葬が執り行われます」と語られる。悪趣味というほかないが、国民の一部の欲望を正確に捉えているようにも感じる。彼らは安倍氏の不在を認めたくないのだ。

 けれども現実には安倍氏は亡くなった。保守のカリスマはもはや存在しないし、他方で反アベだけでリベラルが復活することもない。国葬を機に、今度こそ本当の意味で安倍政治を卒業するべきだと思う。

◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

AERA 2022年10月10日-17日合併号