嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる
友人から「閻魔さまを拝むのはなんで?」と聞かれて「死んだ後に手加減してもらうためじゃない?」と答えたのだが、果たしてそれだけだろうか、と思い返すことがある。あるお寺では、閻魔さまのご利益に「子授け」や「子育て」がある。子育ては、各お寺に伝わるエピソードでよくわかる。道をはずした子どもを閻魔さまの前に引き連れて、お坊さまに地獄絵図の絵解きをしてもらったところ、まっとうになったといった話である。閻魔さまのそばにある「やっとこ」は見るだけで怖い。では「子授け」は、と言えば、転生した魂をわが家族にお願いします、という祈願らしい。
閻魔信仰の本当の意味は
もちろん、閻魔さまにお願いするのは現生に生きる者のためだけではない。亡くなった人たちの魂が少しでも苦しまないよう、そしてよい世界へ行けるよう、という先祖供養の側面もあるのだろう。だが、いろいろ考えて合わせてみると、藪入りと閻魔さまの縁日が同じ日であることの意味は、どう考えても過酷な環境へと旅立たせた子どもに対する親の贖罪のようにさえ感じる。
ところで、閻魔の縁日だけを「賽日」と呼ぶのはなぜだろう。賽銭(神仏に奉納する金銭)、賽人(寺社に参る人)、賽物(神仏への供物)と「日」以外はすべての神仏に際する言葉なのに。ちなみに賽子は(博打で使う)サイコロと読む。明日は、年に2回の賽日で、藪入りの日である。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)