佐藤二朗 [撮影/写真部・張溢文、ヘアメイク/今野亜季(A.m Lab)、スタイリスト/鬼塚美代子(アンジュ)]
佐藤二朗 [撮影/写真部・張溢文、ヘアメイク/今野亜季(A.m Lab)、スタイリスト/鬼塚美代子(アンジュ)]
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 個性的なキャラクターを演じることが多く、独特の存在感を放つ俳優・佐藤二朗さん。最新作「さがす」では、主演でシリアスな役柄でまた違う一面を見せている。そんな佐藤さんが、役者としての原点や大切にしていることとは。

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前編/佐藤二朗 シリアスな主演作に「役を引きずったのは初めて」】より続く

 ここ数年は、自ら監督・脚本・出演を務めた映画「はるヲうるひと」が公開され、自身のツイッター投稿をまとめた著書が話題になるなど、表現者として円熟の時期を迎えている印象だ。映像に進出したのは30歳を過ぎてからだが、小学生のときから、「将来は俳優になる」と決めていた。

「きっかけは、『学習発表会で芝居を披露して、父母たちに笑ってもらって気持ちがよかったから』といろんなところで話していますが、もっと前から考えていたと思います。とにかく、子供のくせに、山田太一さんや倉本聰さんの描く大人のドラマを食い入るように見ている子供でした。俳優になるのは必然だったと思っています」

 俳優に憧れつつも芝居に振り切れずに、安定した仕事と芝居とを行ったり来たりしていた20代のことは、自ら「暗黒時代」と呼んでいる。

「楽しいかしんどいかで言えばしんどかったです。苦労を乗り越えたら必ず俳優として飯が食えるんだという保証もない。バイトして、芝居して、疲れて、就職して……みたいな中途半端な生活を繰り返しながら、それでも、僕の中には『絶対自分は俳優になる』という確信めいたものがありました。しっかりした根拠もないのに、ただ確信だけがあった。当時は頭のネジが何本か外れていたんだと思います(笑)」

 そういって、「当時は、“頭がおかしかったと思う”って絶対に書いてくださいね」と明るく念を押した。

「自分の頭の中だけの確信であって、世の中が甘くはないこともわかっていました。ただ、誤解を恐れずに言えば、『世の中が間違ってなければ、いつか自分は世に出られるはず』みたいな。そんな感じです。でも、考えてみればあの時期を乗り越えられたのは、妻の支えがいちばんだったかもしれない。妻とは、僕が25、妻が21のときからずっと一緒だったので……。当時は、『やっぱり役者がやりたい』『やっぱり辞める』という感情が、ピンポン球みたいに行ったり来たりしていた。それを黙って見守ってくれる人がいたことが、大きかったんじゃないですかね。もし当時、妻がいなくて僕一人だったら、どんどんダウナーなほうに行ってしまったんじゃないかな。こう見えて、けっこう寂しがり屋なんで」

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