都知事時代、会見で黒いすすの入ったペットボトルを掲げる石原氏
都知事時代、会見で黒いすすの入ったペットボトルを掲げる石原氏

 実際、石原氏は99年の東京都知事初当選後、全国で最も厳しいディーゼル車規制を盛り込んだ環境確保条例を都議会で成立させるなど、国に先行した独自の政策で注目された。黒いすすを入れたペットボトルを会見でふりかざして大気汚染問題を訴えるなど、パフォーマンスにも長けていた。政治アナリストの伊藤惇夫氏がこう語る。

自民党内で意識していた総理総裁になれず、見返してやろうという気持ちもあったのでしょう。国に逆らえない知事が多かった中で、国に意見を唱えることを敢然とやった。知事は国とけんかできるものなのだ、と国民に気づかせたのは石原氏の功績だと思います」

 盟友だった亀井静香元建設相も、都知事時代の石原氏の功績をこう語る。

「石原が都知事、私が自民党政調会長をしていたころ、彼が『羽田空港に4本目の滑走路を造ろう』と私に言うから、私が省庁とかけあってやらせたんだ。ディーゼル車規制でも、石原は東京の空をきれいにした。偉大なことをやっているんだよ、彼は。ただ単なる文学者ではない」

 一方で、2000年、自衛隊の式典で「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害では騒擾(そうじょう)事件すら想定される」と発言するなど、排外的な姿勢が時に問題視された。

 12年には、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を都が購入する計画を突如表明。政府による国有化のきっかけをつくったが、日中関係は著しく悪化した。

「知事時代後半は、より国粋主義的な言動が目立つようになりました。それが日本の政治家として国益にプラスになったかというと、疑問を抱かざるを得ません」(前出の伊藤氏)

 4期13年という長期にわたり都知事を務めた石原氏。勇ましい言動の一方で、「実は小心者で神経質。にもかかわらず、マッチョな国士を演じ続けた。健康にも気を使い、執務室にフィットネスバイクを置いてトレーニングしてましたね」(元都庁職員)という証言もある。

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