役者の身体性に音楽と映像を融合させ、「東京2020 パラリンピック開会式」演出を手掛けた劇作家・演出家のウォーリー木下さん。彼が演劇に携わるきっかけは、意外なものだった。
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大学1回生のときに、演劇で、心を掴まれる体験をした。神戸大学の劇団の公演に足を運んだときのこと。段ボールで窓が塞がれた教室に恐る恐る足を運ぶと、始まる直前に音楽が鳴った。音量がどんどん上がっていき、暗転した途端、蓄光性のある物質が点々と光り、まるで星のように見えた。
「いきなりバンって始まって、5人の役者さんが大きい声で叫びだした。鴻上尚史さんの戯曲だったんですが、僕が受験生のときに、鴻上さんのオールナイトニッポンをよく聴いていて、鴻上さんのことをDJだと思っていた。それほど演劇に無知な僕が、『これは現実なのか夢なのか』と混乱するぐらい、『なんだこれは?』という強い衝撃を受けました」
「モラトリアム」という言葉が流行っていた当時。ウォーリーさんも、教育学部に進みながら、「大学4年間の間に、長く続けていきたい何かと出会えたら」と考えていた。最初の演劇体験で、その“長く続けていきたい何か”に出会ってしまったのである。
「すぐその劇団に入ったんですが、卒業後も演劇を続けようと思って、自分たちで劇団を作ることにしました。たった2人で立ち上げた劇団で、もう一人の仲間が最初は脚本と演出を担当していた。僕は裏方とか舞台監督です。そうしたら、旗揚げ公演のあと、その脚本・演出の担当が、『橋を造りたいから、芝居はやめる』と言いだした。詳しく事情を聞いてみると『途上国に行って、橋を造る事業に関わりたい』と。彼は土木科だったんです。『だったら劇団作る前に言ってくれよ!』と思ったけど、やりたいことがあるのは素晴らしいことだと思った。実際、彼は途上国で橋を造る事業に関わって、今もその仕事を続けています」
ウォーリーさんは、自分の決めたことを変えるのには抵抗があった。劇団を立ち上げてしまったので、2回目の公演からは、脚本も演出も自分で担当するようになった。