石川はプロ20年目にして初めて開幕ローテーションから外れ、二軍でのスタート。シーズン初先発となった4月16日の阪神戦(甲子園)では5回2失点ながら敗戦投手になるが、ファームでしっかりと結果を残して6月に一軍復帰すると、そこから3連勝を飾った。
その後はなかなか打線の援護に恵まれず、シーズン通算では17試合の登板で4勝5敗と負け越しはしたものの、先発16試合中13試合で2失点以下と、高い確率で試合をつくった。投球回数は2年連続で「100」には届かなかったが、防御率3.07は過去10年で自己ベストの数字だった。
もう何年も前から「いつまでも石川に頼っているようでは……」と言われながらも、やはりここ一番では頼りになる。日本シリーズでは第4戦の先発マウンドを託されると、慎重かつ大胆な投球で6回を1失点(自責点0)に抑え、シリーズ史上2番目の年長記録となる41歳10カ月での勝利。自身が入団する前年の2001年以来となる日本一に貢献した。
青木の場合、昨年は開幕直後に新型コロナウイルス陽性者の濃厚接触者となったことで2週間の隔離生活を余儀なくされ、これが開幕時点でNPB歴代1位(4000打数以上)の通算打率.325を誇っていた打撃を狂わせた。復帰後は思うように状態が上がらず、シーズン打率.258は一軍でレギュラーに定着した2005年以降では、メジャーリーグでプレーした6年間を含めても自己ワースト。通算打率は.3198に下がり、トップの座を明け渡すこととなった。
それでも大事なポストシーズンで、高津臣吾監督が青木の名をラインナップから外すことはなかった。巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでも、オリックスとの日本シリーズでも、全試合に二番・左翼で先発出場。CS最終戦で値千金の逆転2点タイムリーを放つと、日本シリーズでは第2戦で高橋の完封勝利を後押しする適時打と要所で勝負強さを発揮し、日本一が決まると男泣きに泣いた。