(週刊朝日2022年4月8日号より)
(週刊朝日2022年4月8日号より)

 もっとも自民党幹部らは、コロナ禍で開催反対の声が多いものの、開催すれば大会は盛り上がり、「やってよかった」と、政権の浮揚にもつながると期待した。実際、五輪が開催されると、多くの人が選手の活躍を喜んだ。

 けれども、菅内閣の支持率は下がった。

 そこで大きな問題となったのが、衆院選を控える自民党議員たちが「菅内閣では落選する」との思いを強めたことだった。

 実は8月中旬まではね、政権に力を持つ安倍や麻生太郎財務相(当時)は、菅の続投でいいと思っていた。ところが、安倍の派閥でも麻生の派閥でも「首相を代えてほしい」といった声が非常に強まった。菅続投の考えを改めざるを得なくなった。

 だからね、菅自身も、8月中旬までは安倍も麻生も続投で「OK」だと思い込んでいたはずだ。僕はこの頃、菅とも会っていた。

 やはり菅政権は、官房長官として仕えた安倍からの“禅譲”だからね。引き継いだ以上、禅譲の限界みたいなものがあって、政権を運営する中でその限界にしばられてしまったのかもしれない。とくに、学術会議をめぐる問題や五輪開催はそうだったと思う。

 また、国会での答弁など、菅はあまり上手じゃなかった。僕は「原稿を読まずに上を見てしゃべったほうがいい」と本人に言ったこともある。菅はうなずいていたね。

 でもね、米国は日本に対して非常に期待していた。象徴的だったのが、菅・バイデン首脳会談だ。

 米国でバイデン氏が大統領になった。これまでは米大統領が当選すると、まずは、米英首脳会談か、米仏首脳会談をやることが普通。日本の首相とはその次で3、4番目だった。

 けれども菅首相の時は、バイデン大統領が就任して最初が、いきなり日米首脳会談となった。日本ではこの点があまり話題にならなかったけど、極めて珍しいことだ。

 なぜ、いきなり日米首脳会談なのか。米中の対立が非常に激しくなるなか、その対立をどうするべきかということで、バイデンが日本に期待していたとみられる。

次のページ