首相にズバッと切り込んできたジャーナリスト、田原総一朗氏の「宰相の『通信簿』」は最終回、菅義偉氏をとり上げる。最長政権を支えた番頭役が首相として短命に終わった訳とは。(一部敬称略)
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2018年9月の自民党総裁選で安倍晋三首相が3選し、彼と会った。
「田原さん、“ポスト安倍”は誰がいいと思いますか?」。やりとりの中でこんなふうに尋ねられ、「本気ですか」と聞き返した。安倍のほうは、本気も本気、といった様子だった。
そこで僕は、「菅(義偉)さんがいい」と言った。
なぜか。世襲議員じゃなくて、いわゆるエリートでもない。働きながら大学を出た苦労人なので、他人の足を引っ張ったり、変な野心を持ったりすることはないだろうと。何よりも「あなたは官房長官を続けさせ、信用している」と指摘した。
安倍も、菅を有力な首相後継者と考えていた。2人の関係はいろいろ取りざたされているけど、安倍には「菅首相」はずっと念頭にあったはずだ。
実際、菅内閣ができた。ところが大問題がいくつかあり、わずか1年余りの短命政権に終わった。
一つは、日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題。これについて僕は菅に同情している。学術会議があの候補者名簿を出した時は安倍内閣だった。それを引き継いだ菅が、安倍の決めたことをひっくり返せるわけがない。
二つ目は、新型コロナウイルスでワクチン接種が遅れたこと。欧米より数カ月も遅れ、だめな首相だと思われてしまった。
ただ、今になってみると、菅首相は新型コロナの対応をよくやったよね、なんて評価されてもいる。
そして三つ目の失敗は、東京五輪。21年春の世論調査では「やるべきでない」との意見が多かった。でも、そもそも五輪の1年延期を言ったのは安倍首相だったわけで、それを継いだ菅はやらないわけにいかなかった。
だからこそ彼は、政府の新型コロナ対策の分科会の“決断”をひそかに期待していたはずだ。けれども、分科会は「中止」ではなく「無観客開催」を提言した。つまり菅としては「やらない」という選択はなかったんだね。