4630万円の誤送金ニュースが連日ワイドショーで報道され続けた5月だった。もっと重大なニュースはあるだろうに……と、きっと誰もが思っていたはずだろうが、それでもなぜかこのニュースは連日メディアを賑わした。
振り込まれた側の若い男性は、これまでの短い人生を丸裸にされ、さらされ、小さな町にメディアが押しかけ町民たちにマイクを幾度もつきつけてきた。誤送金した職員への誹謗中傷も日に日に強まり「誤送金するほうが悪い。返さなくてもいいんだ」と誰かが言っているのを聞くと、自分のことを言われているようで胸がツンと痛くもなる。それにしても、なぜ、このニュースはこれほど人の心を惹きつけたのだろう。
一方、コロナ予備費の11兆円が使途不明だったことを日経が報じたのは、4月だった。11兆円の使い道が明らかにできないなんてこと、小さな町の4630万円が個人に誤送金されたことよりもはるかに根の深い問題のはずなのに、ほぼ同時期に報じられた二つの「お金」の事件で11兆円が消えた衝撃はほとんど報じられていない。口座に1000円も残っていない男の人生を深掘りすることに社会が大騒ぎする一方で、11兆円の使い道に関わっている人々を深掘りしない理由は何だろう。
ちなみに、私が誤送金した相手の個人情報が開示された時、私はその人の名前をSNSで検索するかどうか迷った。調べたところで何の解決にもならないことではあるが、一度だけ「いったい、どういう人物?」という相手を知りたい欲望に勝てずにSNSで検索した。それっぽい人がすぐに出てきたが、友人と笑っている写真を公開しているSNSをチラッと見て画面を閉じた。
ネットを通して誰もが探偵になれる時代である。名前や住所が特定されれば、年齢や出身校、勤め先や友人関係までわかることもある。Googleマップでどんな家に住んでいるかもわかる時代である。どこまで深掘りするかは自分次第でもある。そのことを突きつけられた。どちらにしても私の「事件」は終わったのだ。「終わらせるため」には、検索しないことなのだと自制することにした。