市内にある犬猫のがんを扱うクリニックに行きました。自分の貯金通帳を先生に見せて、「できる範囲での治療を」とお願いしました。趣味の旅のため少しの貯金があったので、ミーちゃんに使いたいと思いました。でもその状態での手術は難しく、飲み薬を勧められ、すり鉢でつぶして注射器で懸命に飲ませました。体によい青魚も煮てあげました。
さらに、体全体を見る統合医療の動物病院を見つけたので、前の病院と並行して受診させたいと思いました。少しでも楽になればと。しかし母には「そこまですることはない」と反対されました。私はできることをミーちゃんにしたかっただけ。母とは考えが合わないのだと思いました。
ミーちゃんは、従来の薬で胸の影が少し薄くなってきたので、これは!と希望を持ちましたが、やがて肺に水がたまり、それを抜いてもらう治療もしていたのですが、願いもむなしく、病気の発覚から4カ月後の17年3月27日に旅立ってしまいました
私は一晩一緒に寝て、翌日、家の庭を深く掘ってミーちゃんを埋めました。そして、オレンジのマリーゴールドの鉢を買ってきて、お墓にそっと植えました。
マリーゴールドのかれんな花が、ミーちゃんの雰囲気と似て重なったから。今までミーちゃんと過ごした月日が、マリーゴールドの温かな色味にふさわしかったから。
■救われた言葉とミーちゃんへの変わらぬ気持ち
ミーちゃんが亡くなった後、寂しくてしかたない中で、ネットであるお寺のお坊さんのインタビュー記事を見つけたのですが、「動物も人間も同じ(同じよう)に供養します」という言葉に、はっとなりました。
また、別のお寺にミーちゃんみたいな黒白の猫がいることを知り、会いにもいったのですが、その猫が亡くなったあとにペット供養墓を作ったご住職から、“倶会一処”という言葉を教わりました。「亡くなったらすべて一緒になる」という意味でした。
母との確執や、心身のことで生きづらかった自分に寄り添ってくれたミーちゃんへの思いがこみあげてきました。でもいつかは一緒になる、いつかは一緒になる……そう思うと心が和みました。