1カ月近く経っていましたが、家を覚えてくれたことがうれしかったし、そこからより思いが深くなりました。ミーちゃんも以前にも増して私に甘え、一心同体という感じ。私が出かけると30分くらい部屋を探し、帰宅時は門の鍵の音が聞こえるとすぐに反応したようだし、洗面所でうがいをしている最中も鳴いて、私がトイレに入った時は、ドアの隙間から前脚の肉球をにゅーっと差し出してきて。可愛かったですね。

ごはんはなにかなー
ごはんはなにかなー

■親子げんかをすると、ミーちゃんは私の味方をした

 少し自身のことに触れますが、私にはコミュニケーション障がいなどがあります。診断が出たのは30歳過ぎ。現在はある作業所で働いていますが、幼い時から“得意不得意”の差が激しかったり、空気を読めなかったり、運動も苦手でいじめを受けたりしました。母はそんな私を理解しようとせず、家での居心地もよくありませんでした。

 ただ、母も動物が好きだったので、ミーちゃんや黒の前にも、ダニエルやテツといった雄の猫がいて、私はいつも猫たちと触れ合って過ごしていたのです。やんちゃなテツという男の子も私にべったりでした。

 ミーちゃんはとくに優しかったですね。私は、日常的なこと、たとえば食器を並べたり、ごはんをきちんと盛り付けたり、ということもあまり器用にできないのですが、それを認めない母は「ちゃんとやればできるのに」などと傷つくことも口にする。そんな時、ミーちゃんはいつも間に入ってくれました。

 ある日、母に「やることが遅い」と強く言われ、私がしゅんとしていたら、ミーちゃんがばーっと駆けよってきたこともあります。母は「ミーちゃん、なんでそっちにいくの」といぶかしがっていたけど、ミーちゃんは私を理解して、味方でいてくれたのかな。

寝る時も一緒、いつもSさんに寄り添っていたそう
寝る時も一緒、いつもSさんに寄り添っていたそう

■ミーちゃんの病気発覚、そして……

 そんなミーちゃんの異変に気付いたのは、16年11月下旬です。

 ご飯を食べなくなったので、すぐに動物病院に連れて行って調べると、乳腺がんだと分かりました。そして、「よくて2カ月ぐらいです」と告げられたのです。避妊はしていたし、それまで元気でいたのでショックでした。その時8歳。シニアの入り口とはいえ、まだ若いです。

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