ジャーナリストの田原総一朗氏は、安全保障を主体的に考える必要性を説く。
* * *
22日に手元に届いた「月刊日本」に興味深い特集が組まれていた。「安倍晋三よ! 永田町から退場せよ」との大特集である。
同誌では、白井聡氏、佐高信氏、倉重篤郎氏らに厳しい“安倍批判”を展開させていて、一方、「月刊Hanada」や産経新聞社の「正論」などは、全面的な“安倍応援”を行っている。今回は、その両者の際立つ違いについて論じたい。
白井氏は「悪夢の安倍政権は終わっていない」というタイトルで、「政権にへりくだることだけがうまいだけで、能力の低い官僚たちがのさばるようになってしまった」と批判し、佐高氏は「安倍政権というのは、異論封殺内閣だった。福沢諭吉が『公正の論は不平の徒より生ず』と言ったけど、安倍は少数者の意見に耳を傾ける勇気はない。だから安倍以降、非常に政治が窮屈で狭量なものになっている」と言い切っている。私もこれらの主張にはうなずくばかりだ。
そして、この両者に限らず、安倍批判者は、安倍氏をいわば歴史修正主義者、つまり日本を戦前に戻したい人物だ、と捉えている。
対して、「月刊Hanada」8月号では、安倍氏と櫻井よしこ氏との特別対談で「『歴史戦』は真っ向から闘え」と強調している。日本はこれまで安全保障を米国に委ねてきたが、主体的に捉えなければならないのだ、と訴えている。
自衛隊について考えれば、憲法9条2項で、日本は戦力を持たず、陸海空軍の交戦権は認めない、と明記しているのだが、自衛隊は明らかに戦力と交戦権を有している。大矛盾しているのである。
自衛隊の発足は1954年で、自民党結党は55年である。結党後最初の首相である鳩山一郎は改憲を宣言し、歴代首相も続いたが、さまざまな理由でそれは実現せず、池田勇人以後は、誰も憲法改正を訴えなくなった。
71年秋、私は自民党の頭脳派である宮沢喜一氏に、「池田、佐藤(栄作、当時首相)は国民をだましているのではないか」と突っ込んだ。宮沢氏の答えはこうであった。