屋良朝幸(やら・ともゆき)/ 1983年生まれ。千葉県出身。95年にジャニーズ事務所に入所。2003年、Musical Academyの一員として、舞台「青木さん家の奥さん」に主演。06年に堂本光一のソロコンサートで「SNAKE」の振り付けを担当。以来、嵐の「One Love」や関ジャニ∞の「ブリュレ」などの振り付けを手掛けた。12年には、「Endless SHOCK」にも振り付け助手として参加。写真提供/東宝演劇部
屋良朝幸(やら・ともゆき)/ 1983年生まれ。千葉県出身。95年にジャニーズ事務所に入所。2003年、Musical Academyの一員として、舞台「青木さん家の奥さん」に主演。06年に堂本光一のソロコンサートで「SNAKE」の振り付けを担当。以来、嵐の「One Love」や関ジャニ∞の「ブリュレ」などの振り付けを手掛けた。12年には、「Endless SHOCK」にも振り付け助手として参加。写真提供/東宝演劇部
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 米アカデミー賞作品賞に輝いた映画「スラムドッグ$ミリオネア」。この夏、その舞台版となる音楽劇に主演するのは、屋良朝幸さんだ。1995年にジャニーズ事務所に入所。2003年、Musical Academyの一員に。そして今では、嵐の楽曲の振り付けも手がける彼は、ジャニーズの革命児でもあった。

【写真】屋良さんの転機にもなった「Endless SHOCK」のステージ

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 今でこそ、意欲的にミュージカルに出演しているが、Musical Academyの一員に抜擢された当時の屋良さんは、舞台というものにまったく興味がなかった。

「正直言うと、お芝居が苦手でした。ミュージカルなんて、いちばん遠い世界だと思っていた。少年隊のPLAYZONEという舞台に出たのが最初だったんですが、ジャニーズの王道の、キラキラした振り付けを踊るのがフラストレーションで(笑)。だからずっとなじめなかったんですよ」

 しばらくすると、堂本光一さんが主演する「Endless SHOCK」にも呼ばれるようになった。

「当時は無敵だったので(笑)、『SHOCK』の本番が終わった夜に、池袋のストリートで踊ったりしてましたね。10代とか20代の前半は、一睡もしないで舞台に立ったりとか。そうすることで、自分のやりたいことと、仕事として求められることのバランスをとっていたんです。それに付き合ってくれる仲間がいたから、ジャニーズを辞めずにすんだけど、誰もわかってくれなくて孤立していたら、たぶん、モチベーションが保てなくて、辞めていたと思います」

 そんな仲間たちも、次第に、自分の将来について考え始め、屋良さん自身も、「もう、CDデビューはないだろうな」と思うようになっていた頃。このまま、やりたいことと仕事のバランスを、自分でとっていくしかないのか。将来に対してのビジョンが見えず、途方に暮れかかっていたとき、救いの手を差し伸べてくれたのが、堂本光一さんだった。

「バックについていた頃から、僕のことをすごく見てくれていて、光一くんのソロコンサートのときに『屋良に振り付けをやってほしいと思ってる』とジャニーさんに打診してくれたんです。デビューしたタレントの振り付けを、Jr.にやらせるなんてことは前代未聞だったけど、『光一がそこまで言うなら、いいんじゃない』って言ってくれて。その頃、三浦大知くんのような、セルフプロデュースのアーティストが脚光を浴びたタイミングで、それを僕も好きで勉強していたのもよかったのかもしれない。僕の振り付けを、ジャニーさんが認めてくれて、嵐や関ジャニ∞の振り付けも頼まれるようになったり。それまでのジャニーズの常識を、一個、変えられたのはよかったなと思います」

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