『暦便覧』に「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されているのが「小満」です。「小」と表現されていますが、満ちてくる勢いは「盈」あふれるほどと解説されています。立春から立夏を越え、日々変わる気温の変化に敏感に反応して姿を変えていく木々や大地の草花から、それぞれが満ち溢れていく「盈」を実感してきました。これって「小」かしら? と首を傾げたくなりませんか。さて『歳時記』はどんなことが書いてあるのでしょう。確かめにいきましょう。
この記事の写真をすべて見る先ずは食欲から! 食べて、食べて、食べまくります!
「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」が初候です。蚕の孵化が行われるのは桑の新芽が伸び始める5月。生まれたての蚕は昼も夜もなくひたすら旺盛な食欲で桑の葉を食べ続けます。真っ白な糸を吐き出し繭を作っていく「蚕」の生きざまを記したものが初候といえるでしょう。
「蚕」の語源は「飼い蚕(かいこ)」といわれています。実は、人間に何千年もの間飼育されてきたことで習性が変わり、自力で生きる力を失ってしまった昆虫なのです。生きものとして何かとても憐れな感じもしますが、習性を変えられてしまったとはいえ、大地の精気がみなぎる時に合わせて生まれ、繭を作るために新緑の桑の葉を食べて命をつなぐ一生。『歳時記』に記された「蚕起食桑」には、作り出される美しい絹糸の不思議とともに「蚕」の生き方に込められた尊厳を感じませんか。
かつては蚕を身近に生活する人たちが多くいた時代がありました。蚕との生活は桑の葉を食べる音を聞きながら、あっという間に無くなる桑の葉を絶え間なく与え続けるのが大変な仕事だと聞いたことがあります。
「伸び上がる蚕の貌の尖り来し」 吉村ひさ志
「やはらかきいのち犇めく春蚕かな」 檜紀代
蚕を飼う大変さの中でも向けられる温かな眼差しは、命を育む喜びでもあるのでしょう。
時は今、紅い花が華やかに咲き誇ります
次候は「紅花栄(べにばなさかう)」です。「紅花」といえば唇を彩る「紅」が思い出されます。うすいピンク色から濃い紅まで、染め重ねる回数によってさまざまな紅色を表現できるのが「紅花」です。また大変高価な染料としても知られています。じつはこの「紅花」の花は紅ではなく、奥にオレンジ色を持った鮮やかな黄色。そして実際に花をつけるのはもう少し遅い7月頃なのです。旧暦を考えても今の5月では少し早いかな、と思われます。
そのようなことを考えながらまわりを見れば、今の時季はサツキや牡丹、石楠花(シャクナゲ)、バラといった紅い色を持った花がたくさん咲いてきます。それならば『歳時記』に記された「紅花栄」は、文字通り染料となる「紅花」ばかりでなく「紅い色の花」をあれこれと考えても楽しい、と思いませんか。
紅い花は見る人の心を明るくしたり、時には奮い立たせたりと何らかの刺激を与えてくれるようです。木々が若葉や青葉でゆたかにそよぐ時、紅い花の美しさはいっそう輝きを増すように感じられます。「紅花栄」はそんな花の美しさを表しているのかもしれません。
さあ、黄金色に畑を満たすのはなに?
末候は「麦秋至(むぎのときいたる)」です。春なのに秋? と不思議に感じるかもしれませんが、秋とは稔りの時を表します。今迎えるのは「麦」の秋です。お米の稔る「秋」を麦の稔りにも使っているところに、麦の収穫に対する喜びがいっそう感じられます。「むぎのあき」また「バクシュウ」と読みますが、表している情景にはなにか微妙な違いがあるように感じられます。それは黄金色に稔った麦から立ちあがる光だったり、すっくと伸びる麦の穂に立つ禾(のぎ)の堅さだったり、吹く風に揺らぐ麦畑の表情にはどこか力強さを感じます。
麦といえば代表的なのは「大麦」と「小麦」です。
「大麦」といえば長い禾(のぎ)が特徴です。こちらは味噌や醤油を仕込む時の麹に、麦芽はビールなどの原料に、またご飯に混ぜたり、煎れば夏におなじみの麦茶となります。夏といえば麦藁帽子やバッグが涼しさと軽やかさで人気です。艶があり丈夫だということで大麦の藁が使われているそうです。
「小麦」はおなじみ「粉もの」をつくる原材料です。うどんやパスタといった麺類に毎日欠かせないパンやお菓子に利用されています。
お米に負けないくらい大活躍の麦ですが、実は江戸時代まで米を年貢に納めていた農民は、稲の収穫が終わると自分達の食料として麦を植えていたということです。「麦秋至」は本当に喜びの稔りだったに違いありません。
二十四節気「小満」は決して小さいものではなく、輝く命に溢れています。もし本当の「満」を秋の稔りと考えるならば、今はまだ途中の過程なんですよ、という意味で「小」となっているのかしらとも思われます。『歳時記』は季節を感じながら想像を広げていくと、なかなか楽しいものですね。
参考:
『日本国語大辞典』小学館