晋太郎先生が亡くなられたのは、その直後の同年5月15日。父が最後まで情熱を燃やした対ロ外交(対ソ外交)を近くで見てこられた安倍元首相の「国家観」は素晴らしいものがありました。まさに「地球儀俯瞰(ふかん)外交」。だから世界の首脳からも尊敬を集めることができたと思います。
14年3月、ロシアのクリミア併合問題が起きました。米国のオバマ政権からロシアへの経済制裁などを要求されましたが、しかし、安倍首相(当時)は、毅然とこう言われました。
「それはできない。日本とロシアの間には解決すべき北方領土問題や平和条約交渉がある。日本の立ち位置でやらせていただく」
だからプーチン大統領と強い信頼関係を築くことができたのだと思います。
20年8月29日、首相辞任会見で「やり残したことは?」と問われ、まず挙げたもののひとつが、日ロ平和条約を締結できなかったことでした。あと1年、健康がもっていれば、おそらく成し遂げられていたことでしょう。
常に、現実的に日ロ関係を動かそうと行動されていた安倍元首相が亡くなったことは、対ロ外交において、大きな損失であることは間違いありません。
――安倍元首相との思い出は。
15年12月28日に首相官邸で面談したとき、
「(娘で衆院議員の)貴子さんは自民党で育てたい」
と言っていただき、
「総理にお任せします」
と即答しました。
16年11月の貴子の結婚式には、主賓として出席してくれました。当時、貴子は無所属。そこに首相が出席することは異例で、「政治的な意図がある」とする報道もありましたが、義理だけでの出席だとは感じませんでした。
「鈴木宗男さんをお父さんと呼べることは、大変勇気のいることだと思います。家庭の幸福は、妻への降伏が絶対です」
安倍元首相が穏やかな顔でそう言って、両手をバンザイしたので、会場がドッと沸いたことが懐かしいです。ご自身は、昭恵さんに非常に優しかっただろうと伺いしれます。
安倍元首相には、本当に感謝しています。まだ67歳。あと5年は第一線でできたことでしょう。本当に残念でなりません。
(構成/編集部・古田真梨子)
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