延江:「ピアノを弾きながら死にたい」という山下さんには、どんな思惑があったんでしょうか。
田原:半ば冗談だったのかもしれない。でも僕は本気に受け取ったんだ。
延江:冗談を田原さんが本当に実現しようとして、山下さんは焦ったんじゃないですかね。
田原:かもしれないね。でも彼は途中で断らなかったよ。
延江:そこがすごい。
田原:もっと言うと、最初は京大の過激派にやらせようと思ったのね。仲良かったから。でも京大へ行ったら、過激派がみんなヨーロッパに行ってしまっていなかった。それで早稲田へ行った。
延江:簡単におっしゃいますけど、どうやって話をつけたんですか。
田原:僕は高校から大学時代にかけて、戦争に反対し続ける共産党を支持していたこともあって、過激派の誰とも仲が良かった。それに、何かことを起こしたい過激派は必ず企画に乗るだろうと踏んでいた。
延江:そして、実際に過激派たちがピアノを盗み出して持ち込んだ。
田原:当然、民青は怒るだろう。中核派も革マル派も黙っていない。何より、大学側も警官隊を導入して阻止するだろう。そうなれば大ゲバルト(暴動)となり、その中で山下が死んでいく。これを撮ろうと。
──田原さんが撮影した映像を見た。男たちによってピアノが運ばれる様子が映し出され、ヘルメット姿の学生たちが注視するなか、山下さんが汗を飛び散らせ、一心不乱に鍵盤をたたく。その模様は「バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~」と題して放送された。
田原:僕が山下に「ゲバルトになったら危ない。ヘルメットかぶるか」と聞いたら、「いらない」と。そうやって始まった。演奏が始まると革マル派、中核派、民青と次々に入ってきた。
──だが田原さんが思い描いた混乱は起きず、「大ゲバルトに巻き込まれて山下洋輔が死んでいく」シーンは撮れなかった。
延江:ライブでは、過激派の学生たちもシーンと静かに聴いていました。