作家・村上春樹さんの呼びかけで、ジャズピアニストの山下洋輔さんが1969年に演奏した「伝説のライブ」を再現するイベントが7月12日、早稲田大学で開かれた。学生運動で殺気立ち、バリケードで封鎖されたキャンパスでのライブを当時、山下さんに提案したのがテレビディレクターだった田原総一朗さん(88)。村上さんと「再乱入ライブ」を手がけるTOKYO FMのラジオマン、延江浩さんが「元祖」仕掛け人に当時の様子を聞いた。
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延江:昨年、早稲田大学の4号館に村上春樹ライブラリーが開館しました。「4号館」は現在の場所とは違いますが、69年に「伝説のライブ」があったところです。その前年に早稲田に入った春樹さんは、ライブラリー開館に先立つ会見で「残念ながら見ていないけど、当時、学生に占拠された4号館で山下洋輔さんのフリージャズのライブがあった」「そういう建物を使わせていただくことになったというのはありがたいこと」と話していました。そのライブの仕掛け人が田原さんだったとは知りませんでした。
田原:当時、僕は東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターで、売れっ子ピアニストだった山下のドキュメンタリーを撮りたいと思っていた。ただ、彼がピアノを弾くところだけを撮影しても仕方がない。だから、彼にどういう状態でピアノを弾くのが一番いい?と聞いたの。そうしたら彼はこう答えた。「ピアノを弾きながら死ねればいい」と。そこで僕は本気で、彼がピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうと思った。
──60年代半ばから全国的に学生運動が広がっていた。政治への不信、反戦など、社会に対する不満が充満していた。
田原:当時、早稲田がバリケード封鎖、全校ストライキしていてね。少数の過激派の連中に、大隈講堂にあるピアノを盗み出して、対立する日本民主青年同盟(民青)が占拠する校舎にピアノを持ち込んで演奏したらどうか、と提案した。