『虐待父がようやく死んだ』(あらいぴろよ著、竹書房)、第17話「父の死は希望」より一部抜粋
『虐待父がようやく死んだ』(あらいぴろよ著、竹書房)、第17話「父の死は希望」より一部抜粋

――漫画には「火葬の点火スイッチを押したい」「『私が殺した』って感覚だけでもいいからほしい」と書かれていました。心底憎んでいたはずの虐待親が死ぬとき、どんな気持ちになったのでしょうか。

 憎しみは残るだろうけど、死ねば恐怖は終わるだろうと思っていたんですが、恐怖心が消えなかったのは予想外でした。死後半年ぐらいは、数日おきに父が夢に出てくるし、普通に怖い。死んだら大丈夫だろうと鎧を脱いでいたから、「まだダメなのか」と想像以上に堪えました。

 今思うと「お父さんが怖い」のではなくて、「殴られるのが怖い」んですよね。それをするのが父だっただけ。今でも誰かに肩をぽんと触れられたり、自分の頭の上に人の手がきたりすると身構えてしまうし、男の人の大きな声も怖い、大きな手も気持ち悪い。そういうことが染み付いているので、子どもといても、ふとしたときにフラッシュバックすることがしばらくはありました。例えば、体をパンチされても何とも思わないのに、顔を叩かれると別に痛くなくてもめちゃくちゃムカついてしまう。それは私の父が顔や頭を叩いたからなのですが、夜泣きや授乳といった育児の苦労よりも、変なところで昔の記憶とひもづいているのがつらかった。

 私の中に残っているものと、父がいるという問題は別物。そこを切り離して考えられていたら、苦しまなかったのではと思います。

――よく「子どもはどんな親でも愛している」とも言われ、虐待を受けても親を否定できない、期待を捨てられないという人もいるかと思います。

 私の場合は物心ついたときには父の暴力が始まっていて、良い思い出なんか無かったので否定できたのかもしれません。両親は私が3才のときに一度離婚していますが、その直前は毎日のように暴れていましたから。母は「酒を飲まなければ良い人だから」が口癖でしたが、私は「それなら飲まなきゃいい。飲まないようにできないんだから、良い人じゃないじゃん」と幼い頃から思っていました。

 父親を憎みきっているし、気持ちにケリが付いていると思っていた私でも、「お父さん」という存在にはすごく執着していたと気付いたのは、死後しばらくたってからでした。「お父さん」というものに甘えてみたかったという気持ちがずっとあって、それをあの父に乗せていたんです。でも、「お父さん」を求める気持ちと、それをあの父に期待するかはリンクしていない。それを切り離せるようになってからは、父のことはどうでもいいと思うようになりました。

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「怒られなかったら良い日」はハードルが低すぎる