本書で紹介している簡易生活者たちは、様々なものごとに疑問を持ち、改善しようと奮闘する。本書には妻を「サン」付けで呼ぼうと試み、失敗する若者が登場する。人によって呼び名を変えるより、「サン」で統一してしまうほうが簡易である。さらに「サン」付けし対等な人間として付き合うことで、妻の自尊心が高まり、その能力を最大限に発揮させることができる。利点しかない試みではあるが、彼はこれまで妻の春子を春と呼んでいた。いきなり春サンと呼ぶのはテレくさい。春ちゃんも子供みたいでどうかと思う。一体どうすればいいのかと、若者は苦悩する。
彼の他にも様々な簡易生活者たちが、かつて生きていた。日露戦争中に花を広めようとした者、「応接の時間は五分にせよ」と提言した男もいた。超効率的な家庭を構築するため日々研究する女、彼らは自分の理想を実現するため、明治から昭和にかけて駆け抜けた。
異なる時代の異なる場所で、個々人が好き勝手に様々な簡易生活を実践している。彼らの主張の細部を見れば、簡易生活の捉え方にも違いは多いのだが、ひとつ相通ずるところがある。それは未来に希望を持っていて、生活を良くするために行動している点だ。先の見えない時代に生きている我々だからこそ、彼らの能天気さから学ぶべきところがあるのかもしれない。
過去のことを調べていると、すでに消えてしまった文化が現代にも影響を与えている事実を知ることがある。ひとつの文化が波及して、別の文化が生まれる。分岐しながら世の中へと広がっていくにつれ、源流にあったものが徐々に薄れていく。やがては断片だけが、どこかにひっそり隠れているような状況になる。
そのような風景を見ていると、時には、忘れてしまった文化、つまり原液そのものを思い出すことが必要となる時代もあるのではないかと感じることがある。簡易生活は消えてしまった小さな文化でしかないのだが、それでも確かなことがある。それはいつの時代も同じように人は生きているという事実である。今と同じように素晴らしい人もいれば、いい加減な奴もやはりいる。彼らは失敗したり成功したりを繰り返す。過去に生きていた人々が、我々と同じく楽しく生活しながら、簡易生活を洗練させつつツールとして利用する様を、まずは眺めてみて欲しい。その後に簡易生活が自分にとって必要なものなのか、少しだけ考えていただければ幸いである。