女性差別や民族差別、障害者差別などに反対する運動が起きると、それに対する批判(というより悪口)が囁かれるようになったのはいつのころからだろう。ネットが普及して、匿名で発言できるようになったからだとぼくは思っていたのだけれども、どうやらそれだけではないらしい。
綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』は、反差別運動への批判がなぜ起こるのか、そのメカニズムについて考える本である。
なかなか込み入った話で、参照・言及される文献もたくさんあるから、限られたスペースで紹介するのは難しい。かなり乱暴にまとめてしまうと、反差別には2種類ある。ひとつは差別されている当事者によるもの。もうひとつは、その人自身は差別されているわけではないが、差別がないほうが社会の居心地はよくなるはずだという思いからの反差別。反差別に対する反発や批判は後者に対してのものだというのである。
しかも、2種類の反差別の論理の根っこにはそれぞれ自由主義と民主主義がある。ふだんぼくたちは両者を一体のものとして考えがちだけれども、じつは別物。世界が経済成長し続けている間は両者間の矛盾も目立たなかったが、成長が止まってほころびが見えてきた……というような話で、だんだん壮大になる。最後は天皇制議論に行き着く。
半分ぐらいは納得できるけど……というのがぼくの評価だ。反差別運動を嫌う心理のメカニズムはわかった。でも、じゃあ、差別に傷つき苦しむ人はどうすればいいのか。もちろん著者も差別容認者ではない。「けれど」という3文字は重い。
※週刊朝日 2019年10月11日号