安倍晋三首相といい菅義偉官房長官といい、国会答弁や記者会見をないがしろにしているのではないか。そう感じる人は少なくないはずである。南彰『報道事変』の副題は「なぜこの国では自由に質問できなくなったか」。朝日新聞記者で新聞労連の中央執行委員長も務める著者が、官邸による質問制限問題などから権力の横暴と現場の困難を考察した本である。

<日本はいま、「質問できない国」に陥っている>。それを象徴するのが、東京新聞社会部の望月衣塑子記者に対する菅官房長官の対応である。2017年5月、加計学園の獣医学部新設問題をめぐり「総理のご意向」などと書かれた文書を官房長官は「怪文書のようなもの」と決めつけた。6月から官房長官会見に参加した望月記者はいきなり23問の質問を浴びせかけ、だらけた会見のムードを一変させた。<きちんとした回答をいただけていると思わないので、繰り返し聞いています>。翌日、政府は問題の文書の再調査を約束。官邸の手痛い失敗だった。

 だがこれを機に官邸は巻き返しに出る。オフレコ取材に応じなくなり、望月記者には「事実に基づいて質問を」「主観の質問には答えない」と応答。司会役の官邸報道室長は質問のたびに「社名と氏名を言え」と迫り、やがて会見には時間制限が! 望月封じともいうべきルールの変更だった。

 権力が一強化する中で、ウソや強弁がまかり通り、<権力監視の中核と自負してきた新聞・テレビの記者から、自尊心が失われつつある>。結果、<傲慢になる権力とメディア不信の市民との間で板挟みに遭い、疲弊した記者の流出が続いている>。背景には夜討ち朝駆けのオフレコ取材を重んじてきたメディア側の責任もある。<オフレコでの情報を取るためには、取材先の機嫌を損ねるわけにはいかなくなり、会見が「戦いの場」にはなりにくい>のだ。

 新聞やテレビが情報を独占し、一社ごとに競い合ってきた時代は終わりつつある。はたして報道が健全性を取り戻す日は来るのか。ほんと、頼んまっせ。である。

週刊朝日  2019年9月13日号