家中のタンスを引っかき回し、みきおさんの遺体のすぐ後ろにあった納戸などの引き出しはすべて引き抜かれていた。なぜか、その引き出しの1本を2階まで運び上げ、中にあった物を全部、浴室の浴槽内へ投げ込んでいたのだ。
「犯人は泰子さんのハンドバッグ2個も2階トイレへ持ち込み、便座に座って用を足しながら、物色したようだ。水を張ったままの浴槽には泰子さんの薄緑色の財布、みきおさんの財布、家の鍵、書類などを投げ捨てており、その中に混じって犯人のA型の血液が付着し、血を拭ったとみられる白いタオル、つぶれたアイスクリームのカップ状容器1個など、さまざまな物が浮沈していた。かなりの神経の持ち主だった」(別の元捜査員)
犯人はこうして家中を物色していたが、現金は手つかずのまま。あまりにも残忍な手口とその異様な行動から捜査本部は大混乱に陥った。
捜査が迷走した最大の元凶は、初動捜査の失敗と多くの捜査員らが振り返る。
「捜査本部が初期捜査で最も重視したのは、犯行時間帯とほぼ同時刻である12月30日午後11時半頃、現場前の公園通りを小走りで横切った長身の男だった。ところが、みきおさんのパソコンを解析したところ、4人がすでに死亡していた時刻の翌31日午前1時18分、パソコンを5分18秒、起動させ、空フォルダーの作成と劇団四季のHPへのアクセス、さらに午前10時過ぎにも再び、パソコンを4分ほど起動させた記録があった。この件も極秘事項とされたが、マスコミにすっぱ抜かれ、幹部は犯人が翌朝まで宮澤さん宅にいた可能性がある、としぶしぶ認めた。捜査ミスではないかと批判が相次ぐと、30日夜に逃走した犯人がまた舞い戻ったという苦しい推理を展開。14年には第一発見者となった泰子さんの母親が翌朝、みきおさんのパソコンのマウスを触り、起動させた可能性があると再び、夜間逃走説を唱え出した。万事こんな調子。堂々巡りで結局、何もわかっていない」(捜査本部元捜査員)
世田谷事件の有力情報に対する懸賞金は国内最高額の2千万円だが、最近は情報があまり寄せられていないという。
「地方で自殺した15~30歳ぐらいの男性の身元照会、指紋照合をほとんどしていない。中に犯人がいた可能性もあるのに…。ICPOを通じて中国、韓国、欧州諸国などに指紋照会をかけたが、回答は半分ぐらい。、中途半端な終わっている。事件から18年も経過し、このままだと風化してしまう」(前出の元幹部)
平成最後の大晦日を迎え、節子さんはこう訴える。
「犯人は誰なのか。なぜ、幼い子供たちの命まで奪ったのか。私が生きている間に真相が知りたいです」
(AERA dot.編集部 森下香枝)