
関東大震災や戦災にも耐えた質実剛健の「新大橋」は、1971年3月に都電路線が廃止されたあとも健在だった。その佇まいは、隅田川にかかる橋のなかでも「レジェンド」の存在だが、橋の老朽化、道路拡幅、隅田川護岸のかさ上げなどの懸案で架け替え計画が始まり、1977年3月27日に現在の「新大橋」に生まれ変わった。旧「新大橋」は明治の歴史的遺産として、愛知県犬山市の「明治村」に日本橋方の25m分が展示保存されている。当時の写真にある「志んおほはし」は深川方の橋銘板で、日本橋浜町方の橋銘板は「新大橋」の漢字標記であった。全幅2.74メートル、全高1.35メートルとかなり大きなものだが、日本橋側の橋銘板が「中央区立郷土天文館」(中央区明石町)に保管されている。
いまの橋は残念ながら親しみがわかない。その機能的な風貌に冷徹さすら覚えるが、明治から昭和にかけて人と都電の架け橋となっていた新大橋は、明治人の心意気を感じる、美しい存在だった。
■撮影:1965年8月17日