芥川賞を受賞した石井遊佳『百年泥』の語り部は、多重債務返済のため、南インドのチェンナイで日本語教師として働く女性。彼女が現地に暮らしてほどなく100年に一度の洪水が襲い、アダイヤール川が氾濫して川底にあった100年分の泥が流出する。

 洪水後、大河にかかる橋の端から端までつもった泥の山は強烈な異臭を放つが、集まってきた地元の人々は、そこから行方不明者や故人を引きずり出し、何事もなかったように会話をはじめる。他にも、ウイスキーボトルや人魚のミイラや大阪万博の記念コインなど雑多な品々も出てきて、そのたびに語り部の記憶とともに、教え子の過去やインドの因習の内実まで明らかになっていく。空には、天使のような翼をつけて移動する者たちまで登場する。

 過去と現在、生者と死者、現実と幻想……一世紀もの時間をかけて溜まった泥の中ではすべて溶けあって存在し、時にこうして揃って現れては混沌とした世界を現出する。インドという舞台を活かしたマジックリアリズムといえばそのとおりだが、読後の私は、これは仏教的な思想を反映した物語と感じた。

 冗舌な文体が醸し出すあっけらかんとした混沌(カオス)は、彼我の違いを超えて流れていく私たちの人生、あるいは命を描いた結果なのだろう。それはまさに川の流れに違いなく、その底に沈殿した泥には現在に隠れた過去も、生者と交わった死者も、達成されなかった希望も眠っている。

 鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と書いた川の底には、どんな泥が溜まっていただろうか。ついそんなことまで想わせる快作。

週刊朝日  2018年3月9日号