(1)新しいものに興味がある・変化が好き/(2)刹那主義で未来志向/(3)コミットの範囲が明確/(4)コミュニケーションが合理的
新しいものに興味があり、変化が好きな人は、宇宙ベンチャーの挑戦にワクワクすることはあっても、どうせうまくいかないなどと陰口をたたくことはないだろう。むしろ、今よりももっと気軽にロケット打ち上げが可能になる未来に夢を抱くはずだ。そもそも、陰口をたたいたところで打ち上げ実験の結果にはなんの影響も与えない。まさに外野の戯(ざ)れ言だ。もしもなんらかの理由で打ち上げを阻止したいのであれば、テポドンを打ち落とす迎撃ミサイルのようなものを開発すればいい。実際にはそれだけのスキルがあるのなら、媚びたり上から目線になったりすることなく、協力を申し出るはずだ。
そう考えられる人が、理系脳だ。
なぜ私が理系脳・文系脳という分類をするかというと、世で言う理系・文系の区別に意味がないからだ。一般的に、理系と言えば理系学部、たとえば、理学部、工学部、医学部などの出身であることを、文系と言えば文系学部、文学部、法学部、商学部などの出身であることを指す。そしてその理系・文系の違いが、就職先や就く職種、生涯賃金や、今後ますます普及するAIやロボットに職を奪われる比率の違いに直結するかのように喧伝されている。
しかし、それは違う。大学の4年間で何を専攻したかより、4年間よりもずっと長い人生のなかで、どんな心構えで科学に接するかが、端的に言えば、就職先や就く職種、生涯賃金、失業率を左右するはずだ。私はもちろん、理系脳の持ち主は、職をAIやロボットに奪われず高い生涯賃金を手に入れられると確信している。
ここで「自分は文系脳かもしれない」と肩をがっくり落とす必要はない。理系脳はつくれるからだ。数学や物理にいい思い出がない人でも心配は要らない。この本のために行ったアンケートでは、多くの人が「小学生の頃は算数が好きだった」と答えている。ところが学校教育を受けるにつれて、数学嫌い・理科嫌いが増えていく。
昨今、大人のランニングやジム通いがブームだが、その理由は、健康への関心が高くなったせいだけではないだろう。同級生と比べられ、苦手意識を植え付けられた児童や生徒が大人になり、何かのきっかけで、理不尽な思いをすることなく、純粋に体を動かす楽しさを知ったことが大きいと思う。
それと同じだ。まだ間に合う。本当は数学や理科が好きだった人は、今からでも理系脳を取り戻せる。では、どうしたらいいか。それを商学部という文系学部出身の私ならではの視点でまとめたのが、この一冊だ。