香港から友人夫妻が訪ねてきた。
友人というのは、新刊『ゴースト』に収録されている「廃墟」という短編の冒頭に登場する小説家のモデルでもあり、『地図集』(河出書房新社)という作品を書いた董啓章(トンカイチヨン)という作家だ。連れ合いの黄念欣(ウオンニムヤン)は大学の先生で、春休みに一人で東京に遊びに来たとき、わたしは谷中界隈を案内した。それがすっかり気に入ったらしく、こんどは夫といっしょに遊びに来て、またあのあたりに行きたいという。
そこで6月末の比較的天気のよい一日、人形町の「玉ひで」で親子丼を食べた後、地下鉄で上野に出て、上野公園を抜け、谷中霊園を通って谷中銀座に向かった。
谷中には父の墓がある。そこで二人に、日本式の墓参りに興味があるかと聞いたら、うんうんとうなずいたから、花屋さんで花と線香を一対ずつ買って、ひしゃくと手桶を借り、散歩の途中の墓詣でをしてきた。
「日本人の生活は、死んだ人と距離が近いね」
と、董さんは言う。
「香港では、墓地は郊外の山の上にある。生きた人の生活空間の近くにはないし、近くに置くのは禁忌でもある。東京はこんなに現代的な都市なのに、人の住むところを歩くと、寺と墓地が必ずある。そして花が供えられてる」
政治家が靖国神社を参拝するかどうかはいつも大きな話題だし、と董さんはつけ加えた。ふだんそれほど意識してはいないけれども、もしかしたらその「近さ」は、日本の文化の特徴の一つかもしれない。
いま、『ゴースト』という連作短編集を準備中なの、現代を生きている人の横に、フッとゴーストがあらわれる瞬間のようなものを切り取る短編をいくつか書いてみたかったの。わたしはもともと古いものに興味があるし、過去がどんどん忘れ去られていくのも怖い。けれども、すっかり忘れられてしまうのかと思えば、過去の亡霊は妙に新しい服を着て、ギョッとするような蘇り方をするでしょう。
わたしは初校を戻したばかりの新作について話そうとするけれども、まあ、あまり英語が上手ではないので、どれくらい伝わったかはわからない。