『ラウンド・ミッドナイト』ダスコ・ゴイコヴィッチ
『ラウンド・ミッドナイト』ダスコ・ゴイコヴィッチ
この記事の写真をすべて見る

 1997年は前年から6組増しの120組が来日した。40組の新主流派/新伝承派/コンテンポラリーが首位をキープ、24組の主流派、21組のフュージョン/ワールド/スムーズ、14組のヴォーカル、9組のフリー、6組のソウル/ファンク系、スイングとモダンが各2組のビッグバンド、2組のスイングが続く。復活したソウル/ファンク系を除けば順位に変動はない。新主流派~が11組増えてフュージョン~が5組減ったのは、フュージョンからコンテンポラリーに改めるべきミュージシャンが増えたことが大きい。

 参加作は前年から2作減の21作、着実に(!)減り続けている。スタジオ録音は14作、日本人との共演は9作で5作が和ジャズだ。ライヴ録音は7作、日本人との共演は5作で4作が和ジャズだ。候補3作からダスコ・ゴイコヴィッチ『ラウンド・ミッドナイト』、ミシェル・ペトルチアーニ『ライヴ・アット・ブルーノート東京』を取り上げることに。選外作はデータ欄の【1997年 選外リスト】をご覧ください。では、ダスコ盤から。

 私事で恐縮だが、1969年に同志社大学軽音楽部に入部し、ウディ・ハーマン楽団を信奉する「サード・ハード・オーケストラ」にまわされた。当時のレパートリー中4曲は同楽団の『ウディズ・ウィナーズ』(Columbia/1965)がネタだ。そのなかの《ウディズ・ホイッスル》の作編曲者でソロもとっているDusko Goykovichなる人物の名が読めない。ダスコ・ゴイコヴィッチと呼んでいたが、それが定着した。本人はドゥスコが近いとする。

 1967年に活動の拠点をヨーロッパに移す。1970年代に発表した『テン・トゥ・トゥー・ブルース』(Por-Ensayo/1971)や『スラヴィック・ムード』(It-RCA/1974)は我がジャズ喫茶でも好評を博し、人気トランペッターに踊り出た。とはいえ、なぜか来日は実現せず、1996年になってようやく単身での来日を果たす。推薦盤は翌1997年の再来日時に山形県は鶴岡市にあったライヴハウス「レキシントン・ホール」で収録されたワンホーン・カルテット作だ。共演を重ねてきた仲のピーター・ミケリッチ(ピアノ)、佐藤恭彦(ベース)、初来日ツアーに続いて大坂昌彦(ドラムス)がサポートを務める。全9曲中4曲はダスコの自作で、4曲はトランペットの名演で知られるジャズマン作だ。

 ダスコ作《インガ》は快速ラテンビートで。哀調を帯びた美しいテーマに続くダスコのソロは端正にして建て付けがよく、完全無欠というほかない。続くミケリッチもダスコを踏まえたリリカルな好ソロで魅せる。胸キュンと心ウキウキが交錯する素敵な幕開けだ。

 ダスコ作《年老いた漁師の娘》は中速ワルツで。この愛奏曲をミュートで通すダスコは素朴な美しさが胸に迫るテーマを慈しむように綴り、続くミケリッチが情感を募らせれば自らもそれに倣い、再び心優しく吹き終える。マイルス流ミュートが心揺さぶる逸品だ。

 ダスコ作《インテリア・オブ・クラーク》は急速フォービートで。「クラーク・テリー流に」というタイトルに違わず、柔和なトーンも闊達な語り口も生き写しで驚かされる。ミケリッチに加え、佐藤、大坂もソロで気を吐く。テリーらしい華やぎに満ちた快演だ。

 マイルスの演奏が決定版のモンク作《ラウンド・ミッドナイト》はもちろんスロウで、もちろんミュートで。決定版をおおうヒリつく寂寥感はないが繊細このうえない佳演だ。

 アーニー・ウィルキンス作《プリティ・ブラウン》は急速フォービートでダスコ抜き。録音はエルヴィン・ジョーンズ『エルヴィン!』(Riverside/1961)しか見当たらない。ミケリッチは同作のハンク・ジョーンズに依りつつ情動性を発揮する。覇気漲る快演だ。

 ダスコ作《ザ・ハント・イズ・オン》は快速フォービートで。日本人好みのマイナー・ハードバップだ。ダスコ、ミケリッチの乗りのいいファンキー節がツボにはまりまくる。

 リー・モーガンの大名演でお馴染みのベニー・ゴルソン作《クリフォードの思い出》は中速フォービートで。ダスコは心静かに哀悼の意を捧げ、やがて哀切の思いを吐き出し、ミケリッチを挿んで再び心静かに哀悼する。情感コントロールの妙が光る名バラードだ。

 作者の名演で知られるケニー・ドーハム作《ロータス・ブロッサム(蓮の花)》は急速フォービートで。ダスコは淀みなく一気に吹き抜ける。これも完全無欠というほかない。闊達なミケリッチ、ダスコと大坂の小節交換、大坂のソロも。ハードバップの好見本だ。

 マイルス作《ザ・テーマ》は急速フォービートで。エンディングテーマではなく楽曲の扱いだ。ダスコは流麗に軽やかに快走、ミケリッチもそれに応じた好ソロを繰り広げる。ダスコとミケリッチや大坂との小節交換、大坂のソロも。寛ぎと活気に満ちたラストだ。

 このときダスコは66歳を迎える目前だったが、吹奏力の衰えは微塵もないばかりか、感性は瑞々しく万年青年そのものだ。好相性のミケリッチをはじめサポート陣も手堅い。翌年以降も同所を含むダスコの来日ツアーは組まれた。1999年にはジャンニ・バッソ(テナー)ほかを従えて同所で二弾目の『ゴールデン・イヤリング』(Paddle Wheel)を残しているが推薦盤には星半分及ばない。推薦盤はダスコが日本で残した最高の一作だ。ダスコのファンはもちろん、ハードバップ・ファンならコレクションに加えて損はない。

【1997年 選外リスト】fine>good>so-so>poor
Live in Japan-Doing the Breakdown/Arthur Doyle (Yokoto/November 5,8,10) good+

【収録曲】
1. Inga* 2. Old Fisherman's Daughter 3. In Terry-Eur of Clark* 4. 'Round Midnight 5. Pretty Brown (piano trio) 6. The Hunt Is On 7. I Remember Clifford 8. Lotus Blossom 9. The Theme

Dusko Goykovich (tp, flh*), Peter Mihelich (p), Yasuhiro Sato (b), Masahiko Osaka (ds).

Recorded at Lexington Hall, Tsuruoka, on August 10, 1997.

【リリース情報】
1998 CD 'Round Midnight/Dusko Goykovich Live at Lexington Hall (Jp-Paddle Wheel)

※このコンテンツはjazz streetからの継続になります。

暮らしとモノ班 for promotion
シンプルでおしゃれな男女兼用日傘で熱中症を防ごう!軽さ&大きさ、どちらを重視する?