2001年にドラフト2位で阪神に入団した金沢は、翌02年に登板50試合で5勝1セーブを記録し、虎の“新リリーフエース”と注目された。

 だが、05年に右肘を痛めるなど、年々出番が減り、07年に交換トレードで日本ハムに移籍。結果を出せないまま、わずか2年で戦力外通告を受けた。3球団目のオリックスでも09年は5試合登板に終わり、翌10年も開幕2軍スタートと早くも崖っぷちに追い込まれた。

 それでも、4月にリーグワーストのチーム防御率4.34を記録したソフトバンク・秋山幸二監督が、ウエスタンで防御率2.31の好調ぶりと9年間で165試合に登板した経験を買い、4月30日に電撃移籍が決まる。

「持ち味のシュートで、右打者の内角を攻める投球をしたい」と気持ちを新たにした金沢は、5月23日の巨人戦で初登板し、1回を無安打無失点。交流戦4試合で計5回を1失点の好投。首脳陣の信頼を勝ち取り、攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩の必勝リレー“SBM”に次ぐ“4番目の男”になる。

 そして、9月18日の西武との首位攻防戦でも、9回の1イニングを無安打無失点に抑え、小久保裕紀のサヨナラ弾で勝ち投手に。勢いに乗ったチームは、ここから5連勝して7年ぶりのリーグVを決めた。

 翌11年も自己最多の53試合に登板、1勝3セーブ16ホールドを記録し、日本一に貢献した。

(文:久保田龍雄)

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