一般にCO-CóLO期は失敗だと言われることが多いが、果たしてそうだろうか。
少なくとも87年以降の作品は沢田自身も売れるとは思っていなかったに違いない。セールスを犠牲にしても、あえてやりたいことがあったのではないか。それくらい取り上げるテーマがポップさとは無縁で、抑揚に乏しく、暗かった。しかし筆者は、この時期があったからこそ沢田研二はアーティストとしての深みを備えることが出来たと思う。
ポップスターの道を歩んできた沢田にとって、これが売れることにこだわらず、自分が表現したい音楽を奏で始める第一歩だったのだ。(本文中敬称略)
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