日本のパンダ熱はここから始まった。1972年10月28日午後6時50分、北京から5時間の空の旅で羽田空港についたオスのカンカン(康康、2歳)とメスのランラン(蘭蘭、3歳)。
日本のパンダ熱はここから始まった。1972年10月28日午後6時50分、北京から5時間の空の旅で羽田空港についたオスのカンカン(康康、2歳)とメスのランラン(蘭蘭、3歳)。

 パンダのファンにとって見分けることの源泉は、愛着というべき関心であり、見分ける過程によって強化されていく。強化される要因の一つに、ファン同士の交流がある。要するに、見分けと擬人化によってパンダを題材とした内容のある会話が成り立ってくる。実物を見ることとファン同士の交流とが行われる過程では、両者は、相互作用によって強固な結び付きを形成していく、と推測される。

 野生動物の中でもパンダは極めて人気のある種である。社会的な人気を成り立たせているのは、ファン層の存在であり、同時に、それを是認する社会的な流れである。こうした流れを作ることができれば、対象となる野生動物は社会的な関心の対象となり続けることができる。野生動物あるいは自然の保護に当たっては、人に共感を呼び起こすような手法が必要だ、という示唆がここに含まれている。(『語るパンダ 日本パンダ保護協会20周年誌』より一部抜粋)

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