
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。昭和産業・新妻一彦会長が登場し、「源流」である故郷の福島県平市(現・いわき市)などを訪れた。AERA2025年4月28日号より。
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故郷は、どれだけ年月が過ぎても、そこに再び立てば「自分の一部」であり、「自分がその一部」なのだという思いが、体の中を走り抜ける。それは、山野や海辺が広がる地域だけではない。都会の街の一角であっても、同じ感覚が甦る。
連載で取材してきたトップの6割までが、歩みを振り返る「旅」の一つに、故郷再訪を選んだ。そして「自分の一部」「自分がその一部」ということに通ずる感慨を口にした。すべての始まりが、そこにあるようだ。
登場するのが、父と母だ。兄弟姉妹や祖父母の話も、学校の先生の話も出るが、思い出の多くは父と母との日々。故郷で聴いた言葉には、重さ、深さ、そして温かさがある。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
2月下旬、故郷の福島県平市(現・いわき市)を、連載の企画で一緒に訪ねた。田園風景の中にある集落の農家が、父母の間に1957年10月に生まれ、3人の兄、祖父と7人で暮らした場所だ。父はコメと野菜を手がける傍ら、地域の農家のコメの「もみすり」も請け負い、みんなを芋煮会へ誘い、積立貯金を呼びかけて何組もの夫婦を旅行へ引率した。
父から継ぐ企画好き母と一緒に叔母宅へ1人では磯釣りへ
そこにみた企画力、行動力、統率力が、新妻一彦さんのビジネスパーソンとしての『源流』だ。とくに企画好きな点は、自分も継いだ。2016年4月に昭和産業の社長になって同業の製粉や油脂の国内企業を買収した際も、自ら企画した。
母は、聞き上手だった。義父や夫の介護でも、何を言われてもにこにこ応じていたし、地域の人が立ち寄ってもたらす「情報」や愚痴にも、丁寧に相手をしていた。「農家の嫁」だけにいろいろ忙しく、一緒に旅行へもいけなかったが、県内の郡山市でパン屋をしていた母の妹の家へは何度かいって、クリスマスに美味しいケーキをもらってきたことを覚えている。